えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

原抱一庵と「女探偵」

さてその原抱一庵(1866-1904)に、
『泰西奇文』、知新館、明治36(1903)年
という翻訳書があり、トウェイン、ストロング、ドイル、エッヂワース
の次に「モーパツサン」の名前があり、三作品訳されている。
そのタイトルが凄い。
「大頓挫」
「女探偵」
「再び女探偵」
である。まるで訳が分からないので気になっていたところ、
『明治翻訳文学全集 翻訳家編11 原抱一庵』、大空社/ナダ出版センター、2003年
に復刻されていることを知る。
そりゃ見てみなあかんでしょう。
というわけで遂にその正体を突き止めたぞ、というお話。
「大頓挫」は寡婦がその娘とともに、社交界でなんとか玉の輿に
乗ろうと頑張るもののうまくいかず、
母「桃李姐(トーリそ)」は「瘋癲病院の患者」となり、
娘「紅蓮姐(グレンそ)」はなんでか老園丁の愛人になった
という、よく分からないお話。

之を見ても、人は餘り自分に惚れ込むまじきものなり
(原本、59頁)

「女探偵」の冒頭がすごい。

一千八百四十八年より一千八百六十六年に掛けて殆ど全歐羅巴の政府の爲めに政治探偵を勤めたる蓮陀(レンダ)と呼べる婦人あり
(原本、60頁)

「両親は日耳曼(ゼルマン)人にして波蘭ポーランド)に生れ」たレンダは、
早くに夫を亡くした後、ほんとに女探偵になっていたのである。
看板に偽りなし、だ。
「再び女探偵」も同じレンダと「伯爵(カウント)テー」の物語である。


さて、件のナダ出版センターCDロムでは「原作未特定」になっている
この三作、要するに偽作である以上、調べれば分かるはずのものである。
結論から言って、ダンスタン版でいうと第3巻、
「大頓挫」は"The Accent"
「女探偵」は"In Various Roles"
「再び女探偵」は"Delila"
がいわゆる原作に該当する。
1903年という年が微妙で、抱一庵が見たのが「食後叢書」の可能性も
高く、その場合は第5巻であるが、こちらは原文を見てはいないのだけど、
"The Accent", "Delila"が入っている以上、
"An Exotic Prince"というのが、ダンスタンの"In Various Roles"と
たぶん同じものだろう。
なんにしても抱一庵は勝手なタイトルをつけ過ぎというものである。
ま、それは彼に限った話では全然ないけれども。
それにしても「大頓挫」のお母さんは
マダム・ド・モーリヤック (Mme de Maurillac) で
娘はファビエンヌ (Fabienne) なんだけど、トーリとグレンというのは
一体何なんでしょうか。
「女探偵」は Wanda von Chabert である。
何がどうなったらワンダがレンダになるんでしょうか。
「伯爵テー」というのは Count T だったのである。なるほど。
ちなみに「再び女探偵」の方は原作の冒頭部分を省略してある。


とまれ、「女探偵」「再び女探偵」も東欧の作家のものに違いなく、
オーストリアかポーランドか、その正体は未だ全然分からないが、
恐らくは単一の作家の作品が、まとめて偽作としてなだれ込んでいる
ことは間違いないだろう。
つくづくいい加減な話である。
そして我らが原抱一庵は、三作品「モーパッサン」を訳して、
三つともが見事にぱちもんだった、ということである。
それはそれで、なんだか褒めてあげたいような気も
しないではない。奇人ぶりを見事に完遂している。
て本人の望んだことでもないんでしょうけれど。