えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

いろいろあって何が何だか

Kさんにはいつもながら、素早くも興味深いレスポンスを
ありがとうございます。
http://www.ksm.fr/miura/int.html
の三浦信孝のピエール・ノラへのインタビュー
私もたいへん面白く読みました。全体を通して
実に密度の高い、見事なインタビューだと思いますねこれは。
アカデミーに関する一段落だけ引用させて頂きます。

 セゼールはサンゴールに劣らぬ重要なフランス語の作家だが、コミュニストだった過去が災いしている。アカデミーは保守的な文化機関で、ドレフュス事件では反ドレフュス派の牙城だった。長いあいだユダヤ人と共産主義者と女性と同性愛者には門戸を閉ざしてきたが、ユダヤ人のタブーはジョゼフ・ケッセルで、女性のタブーはユルスナールで、同性愛者のタブーはコクトーで破られた。フランソワ・フュレがアカデミー入りしたのは共産主義から転向してだいぶ経ってからだ。文学史的にはアカデミーは古典主義の擁護者であり、ロマン主義以来アヴァンギャルドはアカデミーから拒否された。バルザックしかり、ゾラしかり。二〇世紀ではジッドもマルローもアカデミシャンではない。セゼールを発見し評価したのはシュルレアリスムブルトンでありサルトルだ。彼らはアカデミーに背を向け、ブルトンは自分のアカデミーをつくり、サルトルノーベル賞すら拒否した。アカデミーは自分で立候補し会員の投票で決まる。セゼールはアカデミー入りを名誉と考えたことはないだろう。

実に明快だ。
しかしながら「保守的な文化機関」は断固一徹保守でいてくれた方が、
話は簡単というものであって、事実はそうではなく、漸次マイノリティー
を取り込んでいくそのしたたかさこそ、アカデミー・フランセーズ
堂々と300年以上も生き続けている理由に他ならない。
エメ・セゼールが何故入らなかったか、ということよりも
サンゴールは何故入ってしまったのか、
ということの方が、本当は問題(があるとすれば)とすべきなのである。
てな偉そうなことを言ってみたりなんかして。