読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

アカデミーと詩人

文学研究

さて成程たしかにメリメもノディエも生き残っている
と言えよう。しかし
シャルル・ノディエ(1780-1844)(入会1833年)は、
辞典も出してる文法学者でもあったということが、
プロスペル・メリメ(1803-1870)の場合(1844年、ノディエの後を継ぐ)、
考古学者的活動も、彼等が入会できた理由として大きいように、
思われはするのである。けどどうだろう。
ところでKさんにはご丁寧に追加私信もお送り頂いたので、
失礼ながらここに一部引用させてください。

左派、右派というのは大筋では合っていると思いますが、
キリスト教を嫌悪したフランス史上唯一の大詩人」と
ボーデが呼ぶルコント・ド・リールフーリエ主義者)の
入会なども考えると、一筋縄では行かないように思います。


もっとも、ルコント・ド・リールの場合は、ユゴー
生前から事実上の後継者に指名していたこと、コペや
シュリ・プリュドムら弟子が既に入会していたことが
大いに影響したわけで、やはり40人という少人数では
不確定要素が多すぎてなかなか断じ難い感じがします。

なるほど、なるほど。
そこでひとまず詩人のおさらい(面倒だけど)をしよう
と思う。
出典はすべてこちらから。アカデミー公式ページ。
Les quarante aujourd’hui | Académie française
(附記:数え年で年齢を追加してみる。)
ガブリエル=マリ・ルグヴェ(1764-1812)、1803年、39歳とか
マリ=ジョゼフ・シェニエ(1764-1811)、1803年。39歳
なんてのは18世紀の延長。後者はアンドレの弟で詩人、劇作家。
以下同様、1803年組。
ジャン=フランソワ・コラン・ダルルヴィル(1755-1806)、
劇作家で詩人、48歳、
ルイ=フィリップ・ド・セギュール(1753-1830)、
詩人、劇作家、外交官、50歳とか、
ポンス=ドゥニ・エクシャール=ルブラン(1729-1807)、詩人、74歳
ルイ=マルスラン・ド・フォンターヌ(1775-1821)、
政治家、詩人、ジャーナリスト、28歳。
フランソワ・アンドリュー(1759-1833)、弁護士、詩人、劇作家、44歳
ジャン=フランソワ・カイヤヴァ(1731-1813)、劇作家、詩人、72歳。
アントワーヌ=ヴァンサン・アルノー(1766-1834)、詩人、劇作家、37歳。
エヴァリスト・ド・フォルジュ・ド・パルニー(1753-1814)
なんとエロティック詩人!、50歳もしかり。
1803年になってアカデミー再編で一括選び直しということらしい。


ということでここから本題。
フランソワ=ジュスト=マリ・レイヌアール(1761-1836)、
弁護士、詩人、劇作家。1807年。46歳。
ピエール・ロジョン(1727-1811)、詩人、シャンソン作家、1807年、80歳!
ルイ=ブノワ・ピカール(1769-1828)、俳優、詩人、劇作家、小説家。
1807年、38歳。
ネポミュセーヌ・ルメルシエ(1771-1840)、詩人、劇作家、1810年。39歳。
アンジュ=フランソワ・ファリオー(ド・サン=タンジュ)(1747-1810)
詩人、翻訳家、1810年。63歳。
ジョゼフ=アルフォンス・エスメナール(1769-1811)、政治家、詩人、
1810年。41歳。
フランソワ=オーギュスト・パルスヴァル=グランメゾン(1759-1834)
なんちゅう名だね、詩人。1811年、42歳。
でようやく、
フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン(1768-1848)、1811年、
て詩人じゃないかも、政治家、小説家、
入会演説で前任者を批判して物議かもしまくり。ナポレオン嫌いだし。43歳。
シャルル=ギヨーム・エチエンヌ(1777-1845)、詩人、劇作家、1811年。34歳。
アレクサンドル=ヴァンサン・ピヌー・デュヴァル(1767-1842)、
俳優、詩人、劇作家、1812年。45歳。
フランソワ=ニコラ=ヴァンサン・カンプノン(1772-1843)、詩人、
1813年。31歳。
エチエンヌ・エナン(1773-1824)、ジャーナリスト、劇作家、1814年。41歳。
ヴィクトール=ジョゼフ=エチエンヌ・ド・ジュイ(1769-1846)、
ジャーナリスト、批評家、劇作家、一応記して、1815年、46歳。
次がまた長い。
ルイ=ピエール=マリ=フランソワ・バウール=ロルミアン(1770-1854)
詩人、劇作家、1815年。45歳。
古典主義がいかに根強かったか分かりすぎるくらいよく分かる。
アントワーヌ=フランソワ=クロード・フェルナン(1751-1825)
司法官、詩人、劇作家、1816年。65歳。
ルイ=シモン・オージェ(1772-1829)、ジャーナリスト、劇作家。
1816年、44歳。
ジャン=ルイ・ラヤ(1761-1833)、詩人、劇作家、1817年。56歳。
フランソワ・ロジェ(1776-1842)、詩人、劇作家、1817年。41歳。
クロード=エマニュエル・ド・パストレ(1755-1840)、
政治家、弁護士、詩人なんだって。1820年、65歳。
アレクサンドル・スメ(1786-1845)、詩人、劇作家。1824年。38歳。
カジミール・ドラヴィーニュ(1793-1843)が1825年、詩人・劇作家。32歳。
アレクサンドル・ギロー(1788-1847)、劇作家、詩人、小説家、1826年。38歳。
ピエール=アントワーヌ・ルブラン(1785-1873)、政治家、詩人、1828年。43歳。
アントワーヌ=ヴァンサン・アルノー(1766-1834)、詩人、劇作家、1829年。43歳。
シャルル=ギヨーム・エチエンヌ(1777-1845)、詩人、劇作家、1829年。52歳。
アルフォンス・ド・ラマルチーヌ(1790-1869)、1829年。36歳。
ジャン=バチスト・サンソン・ド・ポンジェルヴィル(1782-1870)
詩人、1830年。48歳。
ジャン=ポンス=ギヨーム・ピエネ(1777-1868)、政治家、詩人、劇作家、
1830年。53歳。
ピエール・フランソワ・テイソー(1768-1854)、歴史家、詩人。1833年。65歳。
ウジェーヌ・スクリーブ(1791-1861)、劇作家だけど一応、1834年。43歳。
エマニュエル・メルシエ・デュパティ(1775-1851)、詩人、劇作家。
1836年。61歳。
ヴィクトール・ユゴー(1802-1885)、1841年加入。39歳。
ジャン=フランソワ・アンスロ(1794-1854)、
詩人、小説家、劇作家。1841年。47歳。
サント=ブーヴ(1804-1869)、一応詩人でもある。1844年。40歳。
ルフレッド・ド・ヴィニー(1797-1863)、1845年。48歳。
アドルフ=ジョゼフ・シモニス・アンピス(1795-1868)
詩人、劇作家。1847年。52歳。
ジャン・ヴァトゥー(1791-1848)、文学者、詩人。1848年。57歳。
ルフレッド・ド・ミュッセ(1810-1857)は1852年。42歳。
エルネスト・ルグヴェ(1807-1903)、詩人、小説家、劇作家、
1855年。48歳。
フランソワ・ポンサール(1814-1867)、この人も劇作家だけんど。
最後の悲劇作家だっけ。1855年。41歳。
エミール・オージエ(1820-1889)、もち劇作家。1857年。37歳。
ヴィクトール・ド・ラプラード(1812-1883)、詩人。1858年。46歳。
カミーユ・ドゥーセ(1812-1895)、詩人、劇作家。1865年。53歳。
ジョゼフ・オートラン(1813-1877)、詩人。1868年。55歳。
ゴーチエに勝ってポンサールの後を継いだそうな。
オーギュスト・バルビエ(1805-1882)、詩人、1869年。64歳。
悪いけど、この辺、聞いたこともない人が並んでる。
ジュール・ジャナン(1804-1874)、すまん忘れてた小説家、批評家、
1870年。66歳。
グザビエ・マルミエ(1808-1892)、小説家、詩人。1870年。62歳。
デュマ・フィス(1824-1895)、劇作家、小説家。1874年。50歳。
ヴィクトリヤン・サルドゥー(1831-1908)、劇作家。1877年。46歳。
ウジェーヌ・ラビッシュ(1815-1888)、劇作家、小説家。1880年。65歳。
シュリ・プリュドム(1831-1907)、詩人。1881年。50歳。
シャルル・ド・マザド(1820-1893)、詩人、批評家。1882年。62歳。
エドゥアール・パイユロン(1834-1899)、詩人、劇作家。1882年。48歳。
エドモン・アブー(1828-1885)、小説家、劇作家。1884年。56歳。
フランソワ・コペ(1842-1908)、詩人、劇作家ほか。1884年。42歳。
リュドヴィク・アレヴィ(1834-1908)、劇作家、小説家、1884年。50歳。
シャルル・ルコント・ド・リール(1818-1894)、おまたせ1886年。68歳。
ジュール・クラルティ(1840-1913)、批評家だけど劇も詩も書いた
コメディー・フランセーズ支配人。1888年。48歳。
アンリ・メイヤック(1830-1897)、劇作家。1888年。58歳。
アンリ・ド・ボルニエ(1825-1901)、劇作家、詩人。1893年。68歳。
ジョゼ=マリア・ド・エレディア(1842-1905)、ソネ詩人。
彫心鏤骨の詩集一冊で即入会。1894年。52歳。
ジュール・ルメートル(1853-1914)、批評家だけど
後に劇も書いた。この際なので入れとこう。1895年。42歳。
アンドレ・トゥーリエ(1833-1907)、小説家、詩人。1896年。63歳。
アンリ・ラヴダン(1859-1940)、劇作家、小説家、1898年。39歳。
ポール・エルヴュー(1857-1915)、小説家、劇作家。1900年。43歳。
もうなんだか訳の分からないリストになったので
開き直って、もう少し続けよう。
エドモン・ロスタン(1868-1918)、劇作家、詩人。1901年。33歳。
ルネ・バザン(1853-1932)、小説家。1903年。50歳。
モーリス・バレス(1862-1923)、小説家、エッセイスト、政治家。1906年。44歳。
ジャン・リシュパン(1849-1926)、詩人、小説家、劇作家。
長生きはするもんだということか。1908年。59歳。
ジャン・エカール(1848-1921)、詩人、小説家、劇作家。1909年。61歳。
マルセル・プレヴォー(1862-1941)、小説家。1909年。47歳。
アンリ・ド・レニエ(1864-1936)、詩人、小説家。
やっと出てきた象徴派。1911年。47歳。
アンリ・ルジョン(1853-1914)、モーパッサンの同僚だったことがある
後に高級役人、小説家、エッセイスト。高踏派の出自ですよ。
やっぱ長生きはするもんだ。1911年。58歳。
こんなもんでやめておこう。あとしばらくはめぼしい人がなく
ベルグソン、1914年とかあるけど)
1923年になってジョルジュ・ポルト=リッシュ(1849-1930)劇作家であるが
遅すぎるでしょ。モーパッサンより一個年上だよ。74歳。
ちなみにヴァレリー(1871-1945)は1925年(54歳)で、この辺からもう20世紀らしい
感じになるだろうか。


ほら言わんこっちゃない、訳が分からなくなってしもた。
とりあえず私が言いたかったのは、
ロマン主義を引っ張った人はのきなみアカデミー入りしている
ということがまず第一。基本的に第二帝政より前で、
なぜかミュッセだけ52年という微妙な年だということ。
(ただデュマ父だけは入ってないんですねこれが。なんで?)
そこから、「ロマン主義は反体制だったのか」という
問いを立てられるかもしれない、気がする。
そこには世代間の反発はあった。しかし基本(下級)貴族
の子弟の彼等は、復古王政下、七月王政下において
政治的成功はそれなりに可能だったんである。
詩人と劇作家は伝統的にプレステージが高い
ジャンルだったのは、もちろん教養がないと
韻文は書けないからである。ロマン主義文学青年達は
いうてもぼんぼんだったのよ、というのが一点目である。
それから次の世代、すなわち高踏派の世代に関して言えば
彼等はロマン派のように華々しい世俗的成功の道を
既になかば閉じられたところから出発しているので、
反社会的なんじゃなくて、非社会的だったんである。
年食って功遂げ名を挙げた後、伝統的な「詩」を
実は正当に守り続けた人たちである彼等は、
政治的に別に危なくもない以上、アカデミー入りは
当然だった、というのが私の判断です。
ということが言いたかったのだ。
だから、いかにも入ってそうな
テオドール・ド・バンヴィル
カチュール・マンデスが入っていないということが
私にはむしろ不思議な気がするのである。
問題はボードレールである。
彼が70年代まで生き抜いた場合、アカデミーは
彼を迎えたかもしれない、という気はしないでもない。
彼が望んだかどうかは全く別の話だけれど。
なんにせよ死ぬのが早すぎた。
さらに次の世代、象徴主義を唱えた詩人達の中では
ほとんどアンリ・ド・レニエだけがアカデミーに
到達している、ということの意味はではなんだろうか。
ランボーははなから論外で、
ヴェルレーヌは一度立候補しかけてやめているのだけれど、
(訂正:Kさんのご教示によると正式に立候補している。
テーヌの後、1894年、歴史家アルベール・ソレルに負けた
ということになろうか。)
彼は素行が悪すぎたんでちと無理だったような気がする。
(ノラ曰く、ホモセクシャルはタブーだった。)
問題はマラルメである。
彼ももう10年生きてたら、話はもっと微妙だった気がする。
おまけにマラルメは内心入りたい気があったんじゃなかろうか
という気もしないではない。もっともそうでありながら、
それでもやっぱり拒絶するのがマラルメらしい気もしない
でもない。いずれにせよ資格的にさして問題があったとは
思わない。世間に認知されるのが遅すぎたのだ。
他の象徴派詩人に関しては、
とりあえず書き続けて、行くとこまで行った人が少なかったか、
あるいは外国人であるという障害が場合によっては
あったかもしれない、ということしか今は想像できない。
政治的理由から断固拒絶されるようなゾラ級の猛者を
象徴主義は生み出せなかったのかもしれない。
(あるいはそうではないのかもしれないけど。)
劇作家に関しても1870年代までに成功を収めた
者はのきなみ殿堂入りをはたしていると言っていい。
自然主義象徴主義世代は分がいかにも悪い。
ポルト=リッシュなんて年の功以外のなんでもない
ように見える。


とりあえず駄弁はこれぐらいが限度というもの。
一体、ここから何が見えてくるのだろうか。
冷静になってよく考えたい。