えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

アカデミーつづき

改めてKさんに幾つか教えていただいた内の一つは
カチュール・マンデスはユダヤ人だった、
ということで(ホモセクシュアルの疑惑もあったらしい)
これもノラが言うようにタブーだったわけであるから、
アカデミーには入れないという不文律があったに
違いない。なるほど。
それから「おみやげ」を二つもいただいてしまった。
一つ目は爆笑(あえて秘匿)もので、も一つは
マンデスに関する貴重な資料。惜しみなく
放出してくださって、本当にありがとうございます。


ところでアカデミーと言えばこれである。

アカデミー・フランセーズ 誹謗すべし。しかし、できるものならその一員になるよう努めるべし。
フローベール、『紋切型辞典』、小倉考誠訳、岩波文庫、2001年(2刷)、22頁。

そういうわけで、アカデミー・フランセーズを馬鹿にすることは
それ自体が「紋切型」に過ぎないのである。
若い頃に批判しておきながら、後にせっせと入会に奔走した人は
実際のとこ、昨日のリストの内、一人や二人ではあるまい。
それはそうと、昨日のリストはやけになって追加補填。
(ほぼ)網羅的に「詩人」「劇作家」の肩書きのある人は
挙げたつもり。漏れてる人がいたらごめん。
まあ次から次に見たこともない名前があるわあるわ。
(こういうのも紋切型の一つだろうか。)
まこと感慨深い「不死」の面々である。
死後の名声はまさしく生きてる内には予測できない。
つまり、そういうことである。


もう一度話を戻すと、要するに
バルザックスタンダールフロベールもゾラもプルースト
デュマ父もゴーチエもネルヴァルもサンドもバルベーも、
モーパッサンもドーデもゴンクールもユイスンスもヴィリエもヴェルヌも
アカデミーに入らなかったか、入れなかった人たちであり、
だからこそエドモン・ド・ゴンクールは自分のアカデミーを
作っちゃったわけである。
ま、前提条件としてある程度長生きしないと駄目だと
いう話はあるにはある。
そもそも純粋に「小説家」として入会できた人の数は
詩人・劇作家よりぐっと少ないという事実も考慮すべきであるから、
この結果は(実は)別段驚くことではないのかもしれない。
はっきり申し上げれば、「出自の卑しいただの小説家」
なんぞはアカデミーは入用としていなかったんである。
そこを曲げて入れていただくためには、それ相応の努力
(保守カトリックに転向したブールジェを見よ)
をしてもらわなくてはねえ。
ということだったのかもしれない。


一方、事情がよく分からないのは詩人の方である。
なるほど、
ボードレールマラルメランボーヴェルレーヌ
ラフォルグもコルビエールもロートレアモンも入っていない。
(内三人ないし四人は入れろというのが無理なんだけど。)
しかしこちらはそもそも小説家よりも生存率が低いので、
統計的に有意な数字であるかどうか曖昧だ。
それはともかくとすれば、
この人たちは明らかに(詩人であるにもかかわらず!)
美学的に最左翼(というか最前衛というか)に位置していた
人たちであり、そのことと彼等の「不死」性とは
やはり大きく連関していると見るべきだろうか。
というか詩の場合、
生前の栄誉と死後の名声は両立しない
というテーズが、ロマン派以後にはっきり確立
してしまっている、ようなものなのである。
後生おそるべし(意味が違う)。
あたかも生前に不遇だった詩人だけを選択的に
優遇しているように見えるのは、私だけだろうか。


ま、アカデミーだけが生前の名誉であるわけでは
もちろんない。そんな馬鹿な話もあるまい。
しかしなんというかねえ、
ここには確かに何らかの徴候が出現しているように
思われてならない。
これをもっとも率直な言葉で表現すると、
もしかして、みんな要するにアカデミー(会員)が嫌いなんだろうか。
という疑問になるのだけれど、
しかしまあいくら馬鹿にしても
紋切型はどこまでいっても紋切型というものである。