えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

復帰

2週間経ってネットが再開通する。
思えば短い2週間ではあった。
ま、無かったら無いで、無いだけのことであり、
あったらあったで、勿論重宝なんだけど、
たまにはそういうのも悪くはない。
少なくとも本を読む時間は増えるというものだ。


そういうわけで2週間に読んだ本のメモ。
クリストフ・シャルル、『「知識人」の誕生 1880-1900』、白鳥義彦 訳、藤原書店、2006年
共和制下に入って、大学改革によって教員が増加し、
ジャーナリズムの発展で自称「文学者」も大量増加した。
共和制が盤石となった1880年代以降、体制そのものについてではなく、
体制内での社会的問題が政治的論題となる中、
自ら選挙に出馬するのではなく、マスメディアの場において
これらの人達が政治的発言を行うようになっていく。
それが「知識人」の誕生であり、1890年代に入って
左派知識人に対抗する右派知識人、両派それぞれが動員を
進める中、そうした動きを全フランスにまで波及させ、
「知識人」の存在を顕在化させることになったのが、
ドレフュス事件であった、ということでよかっただろうか。
持たない若者が左で、持てる年寄りが右に居つく、
という最後のまとめだけを眺めれば常識的なようなものだが、
共和制下のエリート主義と「知識人」の関係など、なかなか
複雑で、実にまあ大変専門的な硬派な書物である。


ラシーヌ、『ブリタニキュス・ベレニス』、渡辺守章 訳、岩波文庫、2008年
本文に匹敵する量の注と解説に力が入っている。
実際に上演された生きた日本語による翻訳も格調高く、
現在のラシーヌ翻訳で、たぶんこれ以上は望めないだろう。
ローマ史劇二作を並べることで、この二作がまさしく対の関係にある
ことがはっきりと見えてくる、という点でも見事なお仕事。


ヴォルテール、『バビロンの王女・アマベッドの手紙』、市原豊太、中川信 訳、岩波文庫、1958年第1刷、2005年(3刷)
重版してたの知らなかったわ、ということで。
「バビロンの王女」は大昔の話という設定ながら、後半は現代諸国巡りと化し、
「アマベッドの手紙」はインド人が異端審問でローマまで連れて行かれながら、
「後の手紙は見つからなかった」と突然に終了してしまう。この適当さが
ヴォルテールらしいのか。双方ともに「外」の視点からフランスないし
ヨーロッパを相対化して批判するのが眼目な点で、いかにも18世紀的思考。


カフカ短篇集』、池内紀 訳、岩波文庫、2001年(35刷)
これは発掘された本。実にまあ変な話ばかりであった。

 半分は猫、半分は羊という変なやつだ。父からゆずられた。変な具合になりだしたのはゆずり受けてからのことであって、以前は猫というよりもむしろ羊だった。今はちょうど半分半分といったところだ。頭と爪は猫、胴と大きさは羊である。(「雑種」、46頁)

カルヴィーノみたいな「バケツの騎士」というのも良い。


江口重幸、『シャルコー 力動精神医学と神経病学の歴史を遡る』、勉誠出版、2007年
門外漢にはむつかしくてよく分からないこと多しながら、
シャルコーという人はちゃんとした立派な医学者だったのだ
ということだけはよく分かった。シャルコーの弟子に三浦謹之助という日本人が
いたというのと、『沙禄可博士神経病臨床講義』なる「火曜講義」の翻訳が
明治時代に出ていたという話は大変面白かった。


そんなところ。本ばっかり読んでないで勉強しなさい
と昔だったら言われたかしら。いえいえ仕事は
ちゃんとやっておりますと、弁解なんかを付け加えておいて。