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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

マラルメの火曜会

柏倉康夫『マラルメの火曜会 世紀末パリの芸術家たち』、丸善ブックス、1994年
マラルメと交流のあった芸術家たちの肖像を
大変分かりやすく理解できる本。マネやドビュッシーやルドンはともかく、
ゴーギャンベルト・モリゾの話は全然知らなかったので驚く。
ホイスラーとの関係も面白い。それにしても
ジッドヴァレリーも含めて、いやまあ豪華な面子だ。
私が気になる火曜会については第4章で述べられている。
さして広くない部屋にぎゅうぎゅうに詰まって、煙草の煙
もうもうの中、暖炉を背に立ったマラルメは滔々と
ありとあらゆるネタを語りまくり、
それを彼の信奉者達はじっと拝聴していたのである。
宗教というかオカルトというかと
大変近しい状況がそこに出現していたことは
否定できまい。酸欠でもうろうとした頭に師の教えが
ずんずん浸透していくのだ。
はたから見ればさぞ異様な光景であったことだろう。
しかしまあ彼が話術に巧みで、大層社交的で、
カリスマというか魅力というかを備えた人物であったことは
疑いあるまい。できることなら一度くらい会ってみたかった
と私でも思う。
カミーユ・モークレールの証言を引用させていただく。

マラルメを最も真剣に愛した人びとは、愛し方を知らなかったのだ。彼らは自分たちのためだけに師をとっておこうとし、彼からスフィンクスの像をつくった。ここに天才がいる、彼を理解できるのはわれわれだけだということを確信するために、周囲に高い壁をめぐらし、世間から隔離してしまったのである。彼を護るべく、その周囲に楯を植えこみ、結果として彼を空気のないところに閉じ込めてしまったのだ。そして彼の思想の大きな流れから、一滴ずつしか外には洩らさなかった。したがって今日ではすべての文学が、あれほど大きな影響をこうむっているにもかかわらず、マラルメは生前、それを知る喜びを味わうことはなかったのである。
(80ページ)

なるほど、と思う。
しかしかく述べるモークレールもまた、自分こそは真にマラルメを理解していた
という自負を抱いている点において、他の者たちと変わっているわけでは
ないだろう。実に模範的な弟子っぷりである。
英語教師としては失格(というかやる気なし)だったマラルメ
文学の世界においては、かくも優れた(というか魅力ある)先生であった
ということの意味に、私はたいへん個人的にとても関心がある。