えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

「あぶら饅頭」序

それはそうと先日さらりと書き流しましたが、
(たぶん今はなき)太虚堂書房から出た
丸山熊雄訳『モーパッサン選集』第4巻とは、
まさしくあのモーパッサン翻訳史上唯一、
"Boule de suif" を「あぶら饅頭」と訳したブツである。
せっかくなので我等がご本尊、辰野隆の「序」の一節を
掲載させて頂こう。新字体に変更します。

(前略)『ブール・ド・スュイフ』は在来、脂肪の塊りと訳されてゐた。スュイフは脂肪、ブールは丸、玉であるから、脂肪の塊りとしても、あぶらの球としても、決して誤訳ではないが、これは作中の女主人公たる売笑婦の渾名であるから、脂肪の塊りやあぶらの球では、どうも、硬くて、からだ全体がぼてぼてとした脂肪質で、肥白にして瓢の如しとでも形容したい辻君の渾名としては、何とか別の訳名があつて然る可きであらう。
 嘗て僕は此の作を教科として用ひたことがあつたが、その訳名には頭を捻つた覚えがある。あゝでもない、かうでもないと案じた末、昔から水の上でかせぐ醜業婦を船饅頭と称えたことを思ひ出したので、それに因んで『あぶら饅頭』としたのであつた。
 丸山君が『ブール・ド・スュイフ』を訳出するに当つて、脂肪の塊りでは何分にも、フランス的な渾名にならぬから、何か他の呼び方はないものかと質したので、僕は取り敢へず、あぶら饅頭ではどうだらう、と答へたら、それが採択されることとなつたのである。
(第4巻、1-2頁)

辰野隆がまったく同じことを同じように考えていた
というのはそれはそれで感慨深いものがあり、
「肥白にして瓢の如し」というのも趣きある言葉ではある。
にしてもその結果が「あぶら饅頭」かい。
という思いは変わりまへん。加えて丸山熊雄は
「あぶら饅頭」を果たして「フランス的な渾名」と思ったのかどうか。


それはそうと、この『モーパッサン選集』の2巻から4巻までの挿絵を
描いたのが藤田嗣治なのだということを知る人は、今日少ないのでは
ないかと思う(1巻には挿画無し)。
これが実に「フランス的」な、大変よい挿絵なのであるが、
実は私もまだ第2巻を入手できておらずに、探し中。
てなことを記して余計に入手困難になったりしたらいやだなあ
と思って黙ってましたが、まあそんなこともあるまいか。
ほんと、これがいいのだよ。お見せできないのが(著作権ね)残念。