えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ランボー 精霊と道化のあいだ

中地義和、『ランボー 精霊と道化のあいだ』、青土社、1996年。
実は先日、「ランボーが分からない」と告白したところ、
「文学研究やめたほうがいいんじゃない」と、と同僚に言われて
しまい(うるうる)、返す言葉もないので、おとなしく勉強してみる。
一篇一篇の詩を実に丁寧に精緻に読んでいくことを通して、
テクスト、というかエクリチュール自体が内包するダイナミズム
のありようを明らかにしていく研究(であってますか)で、
なるほど、現代にランボーを読むとはこういうことか
と納得する。精密な読解にはほれぼれしてしまう。
私が素朴に思ったことは、
こんなに読みこまなきゃいけないのは大変だ
ということと、
こんなにまで読ませてしまうランボーはやはり只者ではない
ということで、ああなんだか頭がわるい感じ。
つまるところ、ランボーは分かるとか分からないとかいう
レベルの代物ではない。テクストの内に、何をどのように
読みうるか、という読解の位相を抜きに、ランボー
読むことなど不可能なのだ、たぶん。
ということだけは分かった気になったのであるが、
果たしてそういうことでいいのだろうかしらん。


また忘れてましたが、今日がモーパッサン
お誕生日でした。