えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

十一号室

La Chambre 11, 1884
「ジル・ブラース」、12月9日。『トワーヌ』所収。
「ラ・ランテルヌ」、1888年2月19日、「ラ・ヴィ・ポピュレール」、1888年7月5日。
冒頭は二人の対話。ペルチュイ=ル=ロン Perthuis-le-Long の
裁判長アマンドン氏が何故転任になったか君は知らないのかい。
それは本人でさえ知らないけど、とっても滑稽な話なんだ、
という前振りから話に入る。
アマンドン夫人は尊敬され優美で、マダム・マルグリットと呼ばれており、
彼女の素行を疑ってみるものなど誰もいなかったが、
実は彼女は現地に駐屯する軍人の中から愛人を選び、三年の任期と
ともに後腐れなく別れては次を選ぶ、ということを8年間続けていた。
彼女は新しい駐留部第の中から美男であり、また慎みある男を選ぶと、
自ら開く舞踏会で、密かに自分の意志を相手に伝えるのだった。
一か月から六週間の調査期間を経て、合格した男に彼女は告げる、
密会の場所は、城塞の傍にあるホテル「金の馬」。そこで
マドモワゼル・クラリスを訪ねてほしいと。
慈善事業の会合を早々に切り上げ、彼女は女中の身なりに変装し
男のもとへと駆けつけるのだった。
それまで誰にも疑われることなかった彼女の情事が知られることに
なってしまったのは、昨年の夏のこと・・・。


それまで決して彼女は二晩続けて逢引することがなかったのだが、
夫が一週間留守にするのを利用して、彼女は翌日も会うことを男と約束する。
その日、宿にやって来た旅人はたらふく食事をした後休息のために部屋を
求めるが、あいにくその日は空き部屋がない。主人は今日はクラリス嬢が
来ない日なので、彼女の部屋を使わせることにするが、夕刻、男が卒中で
死んでしまう。ちょうどコレラの流行が懸念されていたので、客を脅かさない
ように、真夜中に死体を運び出すことに決定する。
そこへやって来たクラリス嬢は、偶然誰にも見られることないまま部屋へと
向い、愛人が眠っているベッドに飛びこむと・・・。


ということでプレイヤッドで8ページ。「前振り」がいささか長いといえなくもない。
「奇策」Une ruse を思い出させもする一編で
艶笑譚ながらそこに「死」がついて回るところ、モーパッサンの特徴かもしれない。
たまたま二晩続けてやって来た日に、たまたま旅人が死んで、ちょうどコレラ騒ぎ
があったりしたとこで、ついでに言えば愛人の方もたまたま来るのが遅れる、
と考えると、後半の展開は作為的であるように見えなくもない。一方で、
モーパッサンの作品においては常に「偶然」が災いをもたらすことを思えば、
ここでの偶然のいたずらも、作者の「宿命」観の反映ととれるのかもしれない。
冒頭、語り手はパリジェンヌに比して「地方の女」礼賛の一節をぶったりして、
「ジル・ブラース」的語り手の面目躍如という感じではある。一方で、時評文では
モーパッサン=モーフリニューズはしばしばパリジェンヌの魅力を語って
倦まない。かたや人工的な美と洗練、かたや自然さと素朴さ。対立は明確で
その分クリシェではあるにせよ、優劣の価値判断はその場次第、
という融通無碍(というかいい加減というか)ぶりがモーパッサンの語り
の特徴(単に女好きといわれればそれまでかもしれぬ)で、作品の語りを
作者その人の思想の表明と見る見方はいつでも根強く、十分に妥当である
場合も(だってあちこちで繰り返してるから)ままあるにせよ、
モーパッサンという人はもうちょっとヌエみたいに計りがたいところが
あるということは、心に留めておきたい点ではある。
結末は「勲章を貰ったぞ!」と通じるものだけど、フォレスチエ先生言うとおりに
彼女自身の画策があったとは、必ずしも書かれているわけではない。
そこんとこはもうちょっと曖昧なままにしといても、いいのではという気はする。


さてドラマは1時間。語りの枠を排する一方、ヒロインのモノローグを挟みつつ、
当然原作にないエピソード(皆でピクニックに出かけ、隠れんぼの隙に逢引)を
加えてあり、結末のアマンドン氏栄転の裏事情も語られたりする。概して
短編を1時間に延ばしたものは、原作派的には冗長という感じが残りがちで、
原作本来のスピードが削がれるのが惜しまれる、かもしれない。
もっとも作り手側からすれば、その膨らませ部分こそが腕の見せ所なのは
よく分かるのだけれども。
監督は Jacques Santamaria。