えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

右顧左眄

昨日は胸部X線検査。とりあえず事もなく。
右往左往しつつ、映画に逃避。
マチュー・カソヴィッツ監督、『憎しみ』 La Haine、1995年。
ここに描かれている世界には実に現実味があり、
この13年でそれがいくらかなりと過去のものになったとも思えない。
凄い作品。


それはそうと、
桜井万里子、橋場弦 編、『古代オリンピック』、岩波新書、2004年
は新しい研究成果を踏まえた良書で、
古代オリンピックについて大変よく分かって面白い。
近代オリンピックとの関係については、橋場弦氏の言葉が実に明快。

 つまり、近代オリンピズムが礼賛してやまなかった古代ギリシア人像とは、近代西欧人にとってあるべき自画像の逆投影であった。本当のギリシア人は、彼らとは本質的に異質な「他者」である。オリンピック精神とは、一五〇〇年の眠りから覚めて近代に蘇生したというものではない。それは古代の神話化を通じて、近代西欧によって新たに創造されたものなのだ。
(「エピローグ」、214-215頁)

一方で、まさしく「オリンピック学」の教科書であるのが
ジム・パリー、ヴァシル・ギルギノフ 著、舛本直文 訳・著、『オリンピックのすべて 古代の理想から現代の諸問題まで』、大修館書店、2008年。
オリンピックを政治・社会・経済・倫理等の面から総合的に研究する
展望を与えてくれるものであるが、いかんせん「教科書」なのでやや退屈。
訳文がいささか堅いのも惜しまれるところで。
つまるところ、オリンピックとは20世紀そのもの、とも言い得るのであって、
(あるいはこの世紀を映す鏡のようなものだと言おうか)
20世紀を特徴づけるあらゆる要素・問題、
戦争、冷戦、植民地解放とその後の第三世界、人種差別、女性解放、
マスメディアの発展、高度資本主義と大衆社会、環境問題といったものは、
すべてオリンピックの歴史と不可分なまでに関わってくる。
そういう「テーマ」は他にちょっと考えられないかもしれない。
いやさ、北京が終わったからと、また四年(ないし二年)の間、忘れておくのは
もったいないというものではあるまいか、
とか思いつつ、勉強はまだこれからで。