えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

狂気の愛

ブルトン、『狂気の愛』、海老坂武 訳、光文社古典新訳文庫、2008年
すごく良いところもあり、よく分からないところも多々あり、
あまりに身勝手な言葉についていけないようなところもあるが、
そういうことを言うていては、ブルトンのように恋多き人間には
なれないのである。

 愛が生といさかいを起こすことを、わたしは否定しない。愛は打ち勝たねばならないと、わたしは言っているのだ。そしてそのためには、愛はおのれ自身についての高い詩的意識に達していなければならず、その結果、愛がかならずや出会う敵対的なもののいっさいは、愛が自らを讃える炉で溶解する、と。
(「VII」250頁)

無意識の欲望の達成を事後的に再確認することを通して
偶然と必然との二元論を超える可能性を見出すこと。
あるいは、現実界想像界との緊密な関係を解き明かすこと。
あるいは痙攣的な美の探究。
因果論にからめとられて窒息している現実の中において
完全な、全的なる生の経験をいかにして見出すことができるか。
ブルトンが言うていることを、私はそのように理解するのであるけれど、
そうである限り、シュールレアリスムとはレアリスムを超えうる
あらゆる可能性の追求の試みであり、これを教条主義的に捉えるので
ないかぎり、ブルトンの試みは忘れ去られるべきようなものではない
と、私は思うのだけれど、今のフランスの若者の中から『ナジャ』や
狂気の愛』に痺れて芸術活動を始めるような人がいるのかいないのか
気になるところ。いたってよさそうなものだと思うのだけれど、
しかしまあとっつきにくいことは否めまい。ぞっこん惚れ込むには
どうにもアクが強すぎるようなところがありはしませんか、ブルトンて。
エゴセントリックで一貫しているところはバルザックと双璧を成す。
うむ、熱いことったらないね(暑苦しいとは言いますまい)。