えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

退屈なオリンピック

ようやく待望の冬休みに突入。
とりあえずメモのみ。
村上春樹、『レキシントンの幽霊』、文春文庫、2008年(15刷)
不思議な話ばかり。
(そういえば『トニー滝谷』の映画を観たことがあった
と思い出した。あれはいつ、どこでのことだったろう?)
村上春樹、『若い読者のための短編小説案内』、文春文庫、2008年(3刷)
村上春樹が日本語の本を読み始めたら一番ピンときたのが
いわゆる「第三の新人」の世代だった、ということが興味深い謎で。
村上春樹、『意味がなければスイングはない』、文春文庫、2008年
音楽を語って実に見事で感服。
村上春樹、『シドニー!1 コアラ純情編』、文春文庫、2004年
村上春樹、『シドニー!2 ワラビー熱血編』、文春文庫、2004年
(二分冊はいただけませんけども)
オリンピックは退屈だ、ときっぱり断言する人はそんなにいない
と思われる点で、距離を置いた視点が新鮮。
つまるところ、
「オリンピック? それが僕と何の関係があるというのだ?」
ということになるのかと思う。その「退屈な」世界の中に入り込めば
確かにそこには感動がある。しかしそれは結局のところ、
およそ作られたもの、虚構的なもの、共同幻想的なもの
であり、それに意味がないわけではないにせよ、進んで
そこに関わらなければいけない必然はない。それよりも
大事なものとは、手に触れることのできる具体的なもので
あるはずで、それはたとえばワラビーの尻尾だったりする。
ということで、オリンピックの現場に居ながら、作家は
決していわゆる群集心理に溺れることもなく、
(開会式が退屈だからと途中で席を立ってしまうのはすごい)
彼の視点を見失うことがない。
村上春樹のオリンピック批判(商業主義と国家主義に毒されている)
はそれ自体としては目新しいものではないし、メディア・パスの
恩恵に浴した上で「商業主義」を批判することはある種瞞着的で
あるとさえ私には思えるけれど、しかしそれでも、「オリンピック」
なる事象を真に批判的に捉えうる視点を彼が失ってしまっては
いない、というところに、この異色のオリンピック観戦記の
価値はある、という風に思いました。