えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

聖別か涜聖か

先日の「書簡に見るギュスターヴ・フロベール」について。
フロベールをただただ芸術のみに生きた作家と位置づけることで
モーパッサンは「芸術家フロベール」を称えている。
ひとつにはレアリスト、あるいはナチュラリスムの父という
周囲の評価に対する、愛弟子の側からのプロテストの意味合いがあり、
その意味ではモーパッサン自身の(間接的な)意志表明でも
ありえたかもしれない。それはともかくとしても、
師の本当の姿を世に伝えること。
それが、一連の評伝の第一の目的であったはずだ。
芸術家の鑑としてのフロベールモーパッサンの立場は生涯を通して
変わることはないけれど、1876年の最初の評論と80年のこの一文の
間にはフロベールの死去がある。亡き師に捧げるオマージュの言葉
にはある種の理想化、聖別化への傾きが顕著に窺われるようになる。
一方で、この評論以降、モーパッサンは同時に一つの涜聖ともとれる
行為をあえて冒すようになる。それはフロベールの私生活について
語るということに他ならない。
モーパッサンの言説の奇妙な捻じれは次の評論「私生活における
ギュスターヴ・フロベール」(1881年1月)によりはっきり窺われるが
そこでは、作家は己の私生活(社会的自我)を公にするものではない
というフロベールの掟に触れたその同じ筆が、ただちに、
彼の私的な生活の様子について語ってゆくのである。
これは読んでいてすごく奇妙な気持ちを抱かせるものだ。
もちろん、そこで描かれる肖像とは、
常に文学に身を捧げる芸術家としてのフロベールではある。
いってみれば、
師の掟を守りながら師の人生そのものを顕彰する
という難しい道をモーパッサンは選択している。
師の真の姿を後世に伝える、という名目のもとに
書き継がれたのが一連の評論文ではあるにせよ、
一種伝道者の役目を果たすモーパッサンの筆致は、おのずから
すべて聖者伝がそうであるように、師の肖像を己が理想の影の中に
封じ込めることになった。と言えるのかもしれない。


モーパッサンにとってのフロベールが何であったかは、既に
あらゆる言葉を使って語られている。
友人、助言者、先生、保護者にして精神的父。
善なるもの、真なるものの一切をフロベールと彼の作品が体現して
いたといっても過言ではないほどに、彼の存在の意味は大きい。
しかしさすがにそこまで大きいと、「息子」の側が抱えるものも
まったく健全でもありえなかろう、とも思われてくるわけで、
精神分析学的観点から、フロベールの「影」をネガティヴに捉える
見解も幾つか見られた。決定的な結論は望むべくもないが、
フロベールの死後、モーパッサンにとって「脱フロベール」が
ひとつの課題として存在したはずだという意見は根強く、
また説得力もある。『ボヴァリー夫人』と『女の一生』、
『感情教育』と『ベラミ』。弟子は常に師と比較され、
師を凌駕することは、ほとんど不可能と誰もが思った。
おそらくは弟子自身さえもが。
「オリジナルでなければならない」という師の教えを順守すること、
そこにもまた弟子の抱える皮肉な困難が存在する。
「弟子」であることは簡単なことではなく、忠実な弟子でありつづけながら
なおかつ師と肩を並べるまでになることはなおのこと難しい。
その意味では、モーパッサンが今日まで「生き残った」というのは
芸術の領域ではなかなか稀有な例であるように思われる。


フロベールモーパッサン
もちろん全然ちがう。少なくとも私はそう思う。
巨視的に、あるいは文学史的に見れば、モーパッサンの業績は
フロベールのそれに比べて「革新性」においてぐっと見劣りが
する、ということを認めるのにやぶさかではないが、それでも
モーパッサンは決してフロベールの「二番煎じ」ではない
ということを私は心から信じて疑わない。
それはいったい何故なのか?
と自問してみるものの、まとまらないのでそれはまたいずれ。


ちなみに評論中、「デビューしたての若者」に宛てた手紙として
引用されているのがモーパッサン自身宛てのものであるのも
なかなか興味深いところだけれど、くわえるにモーパッサン
師の文言に若干の修正を加えている。

Trop de femmes, trop de canotage, trop d'exercice. Oui, monsieur (...)
(Maupassant, Chroniques, t. I, UGE, 1980, p. 64.)

Trop de putains ! trop de canotage ! trop d'exercice ! oui, monsieur !
(Flaubert - Maupassant, Correspondance, Flammarion, 1993, p. 142.)

つまりはまあ「検閲」であると、これはイヴァン・ルクレールせんせいが
指摘されていることでありました。