えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

たくさん寝る

カナダに移住したフランス人のおじちゃんから、
モーパッサンと日本とに関係はあるのかな、と思って
検索してたらあんたのサイトを見つけて、まさか
日本人がモーパッサンのサイトを作ってるとは思わなかった
たいしたもんだ、絵もよく似てるぞよ。
というお褒めのメールを頂いたので、
それはそれはご親切にありがとうごぜえますだ。
という返事をがんばって書く。
なんでも15歳の時に国語の先生から教わってモーパッサン
発見したそうである。フランス人はみんなこうして
中学・高校でモーパッサンに出会うのであるが、
やれコマンテールや、やれディッセルタシオンや
と課題を課された挙句、国語の授業と一緒に
モーパッサンとも疎遠になってしまう人もまあ
少なからずおるわけですが、そうですかそれは
結構なことでした。
なんかよう分からんけど、めでたいことで。
それはそうと先日の続き。
ベナムー先生の引用からは運悪く該当の数パラグラフが
抜け落ちてしまっていたらしいが、それはともかく、
改めてフランク・ハリスによるモーパッサンの回想を読むと
のっけから凄いことが書いてあってのけぞる。
私は別段下品なことを排除するつもりはないのであるが、
しかしまあ、大の男の打ち明け話にしてもひどいので、
興味のある方は頑張って探してお読みください。
モーパッサンはほんまにこんな絶倫自慢をしたのであろうか。
ハリスの回想録は20年代に出版で、モーパッサンの死後30年
近く経っており、仮に日記やメモの類が存在したとしても
対話で書かれたこの回想は、たぶんに創作の要素が混じっている
ような気はするけれども。もう少し宿題。


これは昨年末に読んだ本。
谷川稔、『十字架と三色旗 もうひとつの近代フランス』、山川出版社、1997年
その筋では必読書となっている本書は、なるほど世俗化を巡る革命以後の100年
の展開の叙述として優れたもの。バルザックフロベールをはじめ文学作品を
資料として扱っている点も興味深く、なるほどと学ぶこと多し。
それから、地道に続くランボー学習。
中地義和、『ランボー 自画像の詩学』、岩波書店、2005年
私は太鼓を持つつもりは全くないことをお断りしておきますが、
これはほんまに素晴らしい。
「かくもありえた自画像」の執筆を遂行するなかで詩人が賭けていたものと、
その詩を内側から食い破って噴出する力を同時に探る
というのがカバー見返しの言葉だけれど、精緻な読解と全体の俯瞰との
バランスも見事で、詩人ランボーの疾走の軌跡が実にクリアに理解される。
一般向けに書かれているとはいえ内容は大変高度。でもその高度な内容を
妥協せず、言葉を尽くして明晰に語っているからこそ、
ランボーの凄さにきっちり到達できている。
これをしっかり読めば、そうかランボーとは「そういうことだったのか」、
と思えること請け合えるのではないかと思われます。