えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

うだうだの続き

昨日の続き。
おさえておかなければいけないことが少なくとも2点残っていて、
ひとつはフロベールのことである。
1870年代のモーパッサンにとって「理想の父の発見」といえば
フロベールしかいない。そう考えるなら、「シモンのパパ」は
ファンタスム以前に、もっと具体的な「現実」の代理表象だったと、
いっていえないこともあるまいか。
鍛冶屋フィリップとフロベールの共通点は単に「でかい」だけではある。


もうひとつは、子ども、とりわけ「私生児」の問題。
モーパッサンの80年代の作品の一つの主要なテーマとして私生児が挙げられることは確かだ。
それについて誰が何を言ってるかまとめるのがむずかしいぐらい
モーパッサン通の中では知れたことといっていい。
フォレスチエ先生にはそれを1883年以降、モーパッサン自身に私生児がいたこと
と結びつける言及が多いが、しかし70年代の作品にそれを見るのは無理があろう。
70年代の作品に私生児がすでに表われていることと、それが80年代の諸短編で
繰り返し扱われることとは、必ずしも一直線につながっているわけではない。
「シモンのパパ」が特異なのは、それが子どもの側の視点から主に語られていることだ。
こんな作品は他にはない。ごく大雑把にいえば、80年代の作品で扱われるのは
私生児を生んでしまった大人の側の問題だといえるだろう。
70年代にはモーパッサンは子どもの側から親を見ていた。
80年代には親の側から子どもを見るようになる。
子ども、とりわけ「私生児」の持つ意味は、そこで大きく変わるのだと思う。


80年代のことも少し考えてみる。これがむずかしい。
自然の命じる欲望に身を任せた結果、なかば懲罰として生まれてくるのが
モーパッサンの世界における子どもの第一義だといっていいかもしれない。
それが幸福の証であるためしは、「田舎娘の話」と82年7月の「子ども」"L'Enfant"
以降に何かあるだろうか。しかし、どちらも「実の子」ではない。
私生児の問題が端的に現れるのはその少し前の「息子」82年4月であり、
そこには父親の側のある種の悪夢が描かれる(しかし罪悪感はないんだなこれが不思議なくらい。)
「父性」がテーマとしてあらわれてくるのもここからと言ってよく、
作者自身に自分の子が生まれるのが契機となっている、と考えれば、
それは明快に過ぎるくらいだ(が、にしてはちと早すぎるようでもあるな。要確認)。
要らない子どもは生まれてくるし、子どもを愛すれば今度はその愛に裏切られる。
女の一生』のジャンヌがそうであり、
「パラン氏」86年の前身の「子ども」"Le Petit"は83年8月。
以降、子殺しあり、親殺しあり、頂点は90年の「オリーヴ畑」になるだろう。
長編『モントリオル』のクリスチアヌーヌはまたこれ私生児を生み、
何一つ知らぬ夫の子として育ててゆくことになる。
そしてここに『ピエールとジャン』を加えなければならない。
この作品は「子ども」の側の問題を扱っているのを忘れてはならないが、
ここでは「実の子」が「私生児」に、遺産も女も奪われて、自分を海上に追放して終わる。
不実の母は裁かれたか。彼女は苦しんだ。しかし不実の愛こそが、
彼女の人生にあって唯一の幸福であった事実は変わらない。
(これはすでに82年「遺言」の構図でもあった。)
もちろんひとつの主題についてのあらゆるバリエーションを
作家は手を替え品を替えるように扱っていくので、一口に
子どもはどうこう、と言うことには無理がある。
しかしなんだろうね。

 人生の悲劇の第一幕は親子となったことにはじまっている。
芥川龍之介侏儒の言葉』、『芥川龍之介全集』7、ちくま文庫、2004年(6刷)、204頁)

という感じなんであるねこれが。暗い話でなんですけども。