えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

悲しみよ こんにちは

フランソワーズ・サガン、『悲しみよ こんにちは』、河野万里子 訳、新潮文庫、2009年
私も人並みに朝吹登水子訳を読んだことがあると思うのだが、
(そいで映画を観てジーン・セバーグええなあ、と思った記憶はある)
見事なまでに何も憶えていないのが、我ながら情けない。が、お陰で
まことに新鮮。いやさ実に上手いのなんの。
訳文は無理に今風にすることなく丹精で読みやすくて好ましいのもあって、
これは一気に読めてしまうでしょう。
作者が18歳だったという情報抜きに読めないのは致し方ないとしておいて、
早熟な若者にしか書けないものがここには確かにあって、
この鋭さと、背中合わせの脆さとに、私はラディゲを思い出しもしたけれど、
それもまた朧な記憶ではあるので、今読めば印象は違うかもしれない。
ただ若いだけでは絶対にこうは書けなくて、若い自己に対する
距離が十分に取られていながら、しかしなお作者が若いという事実は
一人称の語りの向こうに確かにあって、それでもそのことを作者自身が十分に
自覚していることも窺わせつつ、確信犯的に若さを誇示することも辞さずに
いながら、それでも自負と表裏一体の危うさみたいなものがにじみ出て・・・、
というたいへんややこしい自意識のありようが克明に
記録されているところは、どんだけ聡明でも大人になってしまっては書けない
のではなかろうか。
しかしながらこの結末の、ある種の「甘さ」はなんなのだろうと、私は思った。
これまた若さの印ではあるのかもしれない、と今の私は思うのだが、
若い頃の私はこの結末に納得したのだろうか。これではアンヌの死が
あまりに報われないでしょう、と思うのはやはり年を取ったということなのか。
まあそうかもしれないなあ。