えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ベラミ号

ところで「モーパッサンと海」を巡るお仕事をありがたくも頂き、
にわか勉強。
モーパッサンとヨット。
まずはセールボート「ルイゼット」1884年頃購入?
1886年、「ベラミ」1号は
1881年に作家ポール・ソニエールが建造させた「フランベルジュ」号が
後に「勇敢者」L'audacieux 号と名を変え、それからモーパッサンの手にわたった。
二人の水夫ベルナールとレイモンを雇ったのもこの時である。
モーパッサンはこの船の外見をあまり気に入ってはいなかったようで、
1888年マルセイユで見つけた「ジンガラ」Zingara 号の所有者エミリヤン・ロッカ
と交渉開始。ノルマンディー人モーパッサンの面目躍如で値切り倒して翌年購入。
アンチーブで修復後、これが「ベラミ」2号となった。
1892年1月2日未明、モーパッサンはカンヌで自殺を試みるが失敗し、急遽、パッシーの
ブランシュ博士の病院に送られることになるが、その前に、親しい者達が、
モーパッサンに「ベラミ」号と最後の別れをさせた、という話は、Primoli 伯爵が
Lumbroso に語っており(『モーパッサンについての思い出』78頁)、ついでに
デュマ・フィスにも語っているらしい。モーパッサンは言葉を漏らさず、
連れ去られる時に、何度も振り返ったという。


モーパッサンと海、というテーマはすこぶる古く、それでいて簡単には説けない。
海に限らず「水」と、モーパッサンの「夢想」との結びつきを、バシュラールにならって
説いたのがアルマン・ラヌー。清水正和にもそれをふまえた論述がある。
モーパッサンにとって海とは眺めて済むものでなく、自らヨットを操って
海原に漕ぎ出でずにいられなかったということが、いかにも彼を特別な存在にしている。
アンリ・ミットランが強調するごとく、自然主義世代の閉じこもり作家
ゴンクールにゾラにドーデにユイスマンスとは、ぜんぜん違うのである。
私もコート・ダジュールでクルージングでもしてみれば(してみたい!)
一発で感覚的に分かってしまいそうな気もするが、そんなことを言うても
仕方がないので、想像をたくましゅうしてみるのである。
女の一生』のジャンヌにとって、被造物の中で本当に美しいものは三つだけ、
光と空間と水だ、と思われた、という一文は、結局のところ作者その人にとっての
深い実感であったのかもしれない。まばゆい光と広い空、そこに吹く風、そして
波打つ海面。形のないもの、動き続けるもの、そして感覚にじかに強く触れるもの。
官能的といっていい悦びの内に全身を投げ出すこと。自由と孤独と忘却の内に。
他の何物にも代えることのできない絶対的な「時」がそこにあって、
その時においてだけは、モーパッサンは、あるいは「幸福」と呼べるものを
感じ取ることができたのだろう。とか。