えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

水の上

Sur l'eau, 1888
行きがかり上、数日かけて『水の上』を読みなおす。
翻訳は、
モーパッサン、『水の上』、吉江喬松、桜井成夫 訳、岩波文庫、1997年(6刷)
が、今は品切れ中かと思うので、復刊か重版か再販か分かりませんが、出してくれへんかいなあ、と思うのである。
「上天気ですぜ、旦那」、てな台詞がいささか時代を感じさせる気はしつつ、全体としては十分に読めるという気はするのですぜ。
結局のところ、口語がいちばん難しい、ということかもしれない。


それはそうと、『水の上』に関してはフォリオ版がよく出来ているので、もっぱらこれに頼る。

 この日記には興味をひくような物語も冒険も書かれてはいない。昨年の春、地中海沿岸を小遊した際に、私は毎日、自分の見たもの、考えたことを記して楽しんだのである。
 結局のところ、私は水や、日光や、雲や岩を目にした――私はそれ以外のものについて語ってはいない――そして、波に体を揺すられ、まどろんで、運ばれるままになる時に人が考えるように、私はごく単純に思考を巡らせただけなのである。
(Maupassant, Sur l'eau, édition de Jacques Dupont, Folio classique, 1993, p. 33.)

実際にこの書は、4月6日から14日までの9日間にわたって、アンチーブからサン=トロペまで行き、引き返して、最後はモナコで終わるまでの「航海日誌」として書かれている。
だがもちろん、この「航海日誌」は本物ではなく、それまでに発表された新聞雑誌の原稿が再構成されてできたものであり、フォリオの補遺によれば、その数は32。今日では短編小説に分類されているものも入っていて、しかも「小説」版とは異なる結末になっているのもある。
間違いなく、9日間の航海もこの通りにあったことはない。である以上、厳密に言うなら、これはノンフィクションではないということになろう。
では、『水の上』とは何なのか。
ここに書かれていることを分類してみる。
1 コート・ダジュール旅行記、と言ってよい部分。ただしベデカー、ジョアンヌ式観光ガイド的情報には乏しい。サン=トロペのラ・ヴェルヌ修道院などはそれであるが、しかしこの箇所も、その地に住む老女の悲恋の物語に行き着くのではある。
2 水夫モーパッサンの観察。舟と風と波と光と音と匂いと。冒頭の夜明けから最後の嵐まで、随所に挟まれる「航海記」の部分。船乗りモーパッサンなればこその正確な情報と、観察家モーパッサンの感受性あればこその記述であり、前書きに記されているとおり、そうした具体的で感覚的な叙述に、芸術家、あるいは印象派画家モーパッサンの本領を見たい。
3 「考えたこと」。クロニック再利用の箇所。ポイントは、初出時のコンテクストを離れ、それぞれ具体的な契機を出発点に語り出される点。カンヌの地について、この地に集う王侯貴族についての叙述は、サロンに有名人を集める貴婦人達と集められる芸術家の観察に移り、小説家なるものの特性に触れられ、ついで南仏はまた病人の療養地でもある、としてマントンの墓地の回想に移る。舟での食事の後、町の灯火に人々の会話の愚かさを思い、人間の愚かさへのペシミスム満載の思想が述べられる。結婚式に居合わせれば群衆論、商人たちの会話を耳にすれば、フランスの機知について、役人たちを目にすれば、役人生活の悲哀について、月光の下の恋人たちを眺めれば、月について詠まれた詩について。ミュッセからブイエをはさんでユゴーまで。エーテル夢遊病的体験の後には、オリエントでの楽園的生活の夢想。
個別的なものについての会話は、必ず最後に一般的結論を引き出した、というのは、フロベール、トゥルゲーネフの会話を追憶して述べられるモーパッサンの言葉であるが、つまり、モーパッサンもまたここでそれを実践しているのだ、ということが言えると思う。
「思想家モーパッサン」の思想は決して抽象的な原理にまで遡ることがないけれど、しかし「批評家」という彼の一面は、ジャーナリズムという領域に限定して貶めるようなことを、今日しているわけにはいかない。そもそもこの部分が本書の大半を占めているのが事実である以上、「旅行記」というのは、もしかしたら時事評論集という本書の本来の性格をカモフラージュするための看板でしかないかもしれないのである。
思えば奇妙なことである。「私」を語ることなかれ、というフロベールの教えを順守する小説家モーパッサンが、ここでは「私」のことしか語っていない。
しかし、フロベールが語ることをかたくなに拒んだ(とされる)「私」とはそもそも何であるのか。
一方、1888年は『ピエールとジャン』の年であり、「小説論」において、モーパッサンは小説とは「個人的世界観」の表明でしかありえない、と断を下すが、『水の上』以上に、個人的世界観の表明であるような書物は、およそありえまい。


群衆は嫌いだと言いながら自分もそこへ混ざっていき、自由だと叫びながら人恋しさにとらわれ、自ら軍艦を見に行きながら、戦争の愚かさを嘆き、現世への悲観と快楽主義者の表明は並列し、作家はすべてを知ると言いつつ、人間は何も知ることはできないという。その都度発される「思想」は互いに脈略なく、矛盾しあいながら混在しているということにも注意したい。なるほど全体を俯瞰すればそこにはペシミスムが一貫しているということはできるにしても、明らかにこの作者は一貫した思想の表明に逆らっている。
「鳥のように我々の精神を横切る、さ迷える思想をつかまえようとした」(164ページ)
という後書きの言葉は、まさしくそれを語ったものだが、そのようなものとして本書が意識的に構成されていることを忘れるわけにはいかない。ヨットでの航海は風まかせ、運任せであり、その航路は常にジグザグで直線的であることはほとんどないだろうが、『水の上』のエクリチュールそのものが、そうした航海のありかたを模倣している、という風に言うことができる。
だが順序は逆なのかもしれない。
一貫性をもたず、突発的で絶えず流動する「私」のありようを語るメタファーとして、ヨットによる航海というものが存在したのではないのか。毎週書き継ぐ多種多様な時評あるいはフィクションがあり、それを一冊にまとめることを考えた時に、「航海記」という枠組みが事後的に採用されたのである。


日々、フィクションとノンフィクションとのどちらとも判別不可能なテクストを書き綴る中で、モーパッサンが到達した結論とは、およそエクリチュールの領域において、真偽というのは実体ある判断基準ではない、ということに他ならない。
真理が事実を越えたところにあるのであれば、個別の事実が本当にあったことであるかどうかは何の意味ももたないし、そもそもそれを判別することは不可能である以上、ただ「本当らしさ」こそが、真理に到達するための手立てである。
しかしそのことを逆に考えれば、純粋な事実の記述によるノンフィクションというのは、それ自体が幻想に他ならない、ということになるだろう。
そうであるならば?
『水の上』はフィクションとノンフィクションという境界を破棄するために作られた書物である。
モーパッサンの内には、一方に小説家がいて、他方に随筆家がいた、と考えるのは、だから正しくない。
「小説」という社会制度を越えたところにテクストを解放する試み、それが『水の上』ではなかっただろうか。


この書物の中で語る、あるいは語られる「私」は、フロベールが忌避したプライヴェートな作家の肖像というような意味での「私」ではない。すべてのエクリチュールがそうであるところの(とモーパッサンが考えた)「自我」のもっとも直接的な表明として、この「私」の語りがあるのであれば、『水の上』がモーパッサンにとって「小説」であった、ということを否定する理由は、結局のところ、どこにもないのだ。
後年のモーパッサンフロベールより先に進んだ地点があるとすれば、それは恐らくこの点においてだ、と私は思う。
「書く主体」としての「私」は、書かれた時点において、既にいわゆる社会的自我としての「私」ではない。であれば後者はそもそも「書かれえない」ものとしてしか存在しないだろう。別の言い方をするなら、あまたの短編小説の「語り手」として登場する「私」(名を持つこともあれば持たないこともある)と、『水の上』の「私」を別のものと区別する根拠など、実は存在してはいないのであるし、それは、匿名の三人称の記述者とて同じことである。
フロベールにとって公(小説)と私(書簡)は整然と区別しえたかもしれないが、すべてをジャーナリズムの場で「書く」ことで生計を立てたモーパッサンとでは、「書く」ことの意味はおのずと異ならざるをえなかったし、そのことが、結果的に、書くことについてのモーパッサンの内省を、より現代的なところにまで押し進めた。
「書く」とはそもそもどういうことであるのか。その問いの帰結として、私は、『水の上』という書物があるのだと考えたい。