えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ドイルのあわや偽作ばなし

コナン・ドイル、『シャーロック・ホームズの読書談義』、佐藤佐智子 訳、大修館書店、1989年
この中に「すんでのところでモーパッサンの偽作者」という章があって、
これは何じゃろなと思って読んでみた(のはけっこう前の話だけど)。
ドイルがスイスを旅行して宿屋に泊った時に、ここに閉じ込められたら
どうなるやろか、ていうので一本書けるな、と思いながら下山して、
本屋で偶然に手に取ったのは、モーパッサンの短編集。
そこに「宿屋」という作品が収録されていて、これはまさしく自分が想像していた話
そのものだった。

 むろん事の真相ははっきりしている。彼もあの宿屋に泊る機会があって、ぼくと同じような考えが浮かんだにちがいないのだ。その点はよく理解できる。ただ驚くのは、この短い旅の間に、この広い世界の中で、たまたまぼくを世間の笑いものにすることから救ってくれるただ一つの本をぼくが買ったということである。この本を買わずにもしあの作品を書いてしまったら、模倣でないと信じてくれる人が一人でもあっただろうか。偶然の一致でこの事態をすべて説明できるとは思えない。われわれを外から慈悲ぶかく見守り助けてくれる心霊の働きをぼくは何度か経験しているが、これもその一例に数えられる。守護霊に関する古いカトリックの教義は美しいばかりでなく、その中には真実の基盤があるのである。(105頁)

というお話。
さすがに英訳モーパッサンにドイルの作品を入れてしまう出版社のあるはずもなく、
私の関心の「偽作」とは関係のないものではあったけれど、なかなか興味深い。
ドイル自身の解釈は、ドイルらしいということでよかろうか。
ついでにドイルの評価。短編といえばまずはポーという文脈。

 モーパッサンがその気になったら、ポー独自の不思議で不気味な世界にも肉薄することができたろう。モーパッサンの『ラオルラ』(La Horla)を読んだことがあるかどうかわからないが、これは悪魔ものとしてこれ以上は望めない最高の出来を誇っている。それにもちろんこのフランス人はほかにも広い領域をもっており、鋭いユーモアの感覚をそなえ、それが時には節度をこえて噴出したりするが、しかしいつの場合にもそれが物語に楽しい下味をつけていてくれる。
 とはいえこの二人を比べてみると、独創的思考という点で、きびしく恐ろしいアメリカ人のほうがはるかに優っていることをだれも否定することはできないだろう。(105-106頁)

まあ、そうかもねえ。
ところで「オルラ」は「ル・オルラ」が正しくて、これはドイル自身の間違いでしょうか。
どう譲っても「悪魔」ものではないんだけど、それもまあご愛敬で。