えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ネルヴァル生涯と作品

ネルヴァルの勉強も少しはしようかいなあと。
レーモン・ジャン、『ネルヴァル 生涯と作品』、入沢康夫、井村実名子 訳、筑摩叢書、1985年2刷
原著の出版は1964年で、この時点でのネルヴァル評価としては最良のものかと思うが、
つまりは「シルヴィ」と『オーレリア』および「シメール」詩篇に特化されたネルヴァル。
これ以後のネルヴァル研究の一つの眼目は、より全体的なネルヴァル像に光を当てることにあった
と述べても、まあ差し支えはあるまい。
おもむろに、結尾の言葉だけ引用。

 このように先見の明をもつ作品の場合、その豊かさは、時代の威勢と同時に作品の魅力も尽きてしまうある種の書物と、共通の尺度では計れないのである。このような作品は、サント=ブーヴが吹聴したあの<歴史的>称讃、そして多くのロマン派の著作が生きのびるために欠くことのできなかった称讃の恩恵に浴する必要はまったくない。それどころか反対に、彼の作品は自らを未来に投げだすことによってその幸運を見出したのである。ネルヴァルの条件は、生前彼が占めていた現実の地位の分析から出発しなければ理解されないとはいえ、彼の作品は、この条件を越え、その限界を破り、ついにはこれを否定する限りにおいて、はじめて意味をもつのである。彼の運命は、作家という職業の隷属と幸福の典型となっている。(121-122頁)

作者自身、あるいは同時代の読者がそのテクストに見ていたものと、
今日の我々がそのテクストを評価する点とは異なるものであり、
なかんずくは後者は前者の知る由もないものであった、というのは、
実はネルヴァルに限った話であるわけではなく、すべて今日も読まれる古典とは、
程度の差こそあれそういうものであろう。テクストの意味と価値を決定するのは読者であれば、
その評価は時代とともに変化しうる。ネルヴァルとランボーは、そのもっとも極端な例ではあるにせよ。


というもの言いは、今となってはまっとう至極にも見えようが、これがつまりは
ヌーヴェル・クリティックの時代の言説そのもの、でもあろうか、と。