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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

緑の目の令嬢

ルブラン

モーリス・ルブラン、『緑の目の令嬢』、石川湧 訳、創元推理文庫、1988年(27版)
ええ古本ですとも。刷っおてくれ。原書は1927年。
1 ものすごい美人が、何故か分からぬが悪事に加担してしまっているらしく、
 あんなにも清純な顔をして、こんなことが成しうるものであろうか、という驚き。
2 実は諸事情あって巻き込まれていただけで、本当のところ彼女は無実であったのだ、という喜び。
(つまり、内面と外面とは一致する、という古典的な美学というか何と言うかの前提があって、
前のゴルジュレにせよ本作のマレスカルにせよ、見た目は下品、内面は卑劣の悪者警官はその裏返し。一方、
この、権力の側の人間をあからさまに悪者に仕立てあげる、という作法は、それはそれで検討の余地がある。)
3 これまた諸事情あって彼女は拒んでいたが、実は最初の時から彼を愛していたのである。
というのがね、つまるところルブラン君の繰り返して倦むことを知らぬ一つの話型でありましょう。
(ちなみにこの度のヒロインはオーレリー。たまたまながらネルヴァルつながりである。)
最終的に、
4 彼女は絶対的な信頼のもとに彼を全身全霊を込めて愛することを誓う。
となるのである。ああそうかいな、と思わず言ってしまいそうですが。
庇護者としての全能の男性と、庇護される者としてのか弱き女性、というのは
要するに男性中心主義というか、あからさまに家父長制そのもののイメージだよなあ、
とまあ思ってしまうのであるが、致し方あるまいのお。
しかし、だからこそカリオストロ伯爵夫人はリュパン作品の中でも出色の存在と言ってよかろうし、
数多のヒロインの中で精彩を放っているように、私には思える。
が、それはそうでありながら、なんだかんだ言いつつも、後半はぐいぐい一気読み。
この結末は実にロマンチック(ロマン主義的という意味において)で、最後は出来すぎですが、
イメージの美しさは『エギュイーユ・クルーズ』に匹敵しよう。
これまたネタばらし気味ですが、「放射能」が出てきて、しかもその意味付けが
ポジティブであるところが興味深い。というか驚いた。当時の知識としてはそういうものだった
ということなんだろうかしらね。


それはそうと、末尾になりますが、
先日コメントお寄せくださった、K-Aさんのサイト、
アルセーヌ・ルパン - Au dieu Hermes
こちらの邦訳一覧が実によく出来ておりまして、いやはや大変「スリム」なことであります。