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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

カリオストロの復讐

モーリス・ルブラン、『カリオストロの復讐』、井上勇 訳、創元推理文庫、2007年(29版)
1934年、『ジュルナル』連載後、翌年ラフィットより刊行。
「今は亡き美貌と奸智に長けた悪の華カリオストロ伯爵夫人の恐るべき執念と復讐」
という大変魅力的な主題が、今一つ盛り上がりに欠けたまま収束してしまうところが、
この作品の問題点ではないかと思われるのだけれども、
問題は偏に、リュパンに父性愛が欠落している、という一点に尽きる。
これがために息子を悪党に仕立て上げるという、カリオストロ伯爵夫人の復讐は
無効化してしまうので、盛り上がりようがありゃしない。
これはいったい何なのか。
一つには、怪盗紳士アルセーヌ・リュパンに父性はそぐわないものだったということが
考えられよう。リュパンは生涯現役であることを宿命づけられていたようなものだから、
いってみれば書き継がれたリュパン・シリーズの存在が、リュパンに父であることを
もはや許しはしなかったのかと。
一方で、ここに作者ルブラン自身の姿を認めることができるのかもしれない。
ルブランは早くに結婚して子ども(娘)もいたかと思うのだけれど、
伝記的事実はともかくとしても、「父」であることへの関心の低さは疑いなかろう。
アルセーヌ・リュパンは対女性関係においてあからさまなまでに家父長的である
と言っていいと思うのだけれど、そのことは彼が現実に「家庭」を築くことと合致しない
わけではある。そういえば「独身者」というのもバルザック以来の19世紀特有の社会的存在
であることを鑑みれば、このことは驚くにはあたらないのだけど、
それってつまりどういうことなのかな。いずれにせよ、
永遠に若くあり続けるアルセーヌ・リュパンは、
そうであるが故に「成熟」の可能性を奪われている、のだと言ってよかろう。
ヒーローとはそういうものであるに違いない。