えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

サヨナラ

Sayonara, 1957
監督はジョシュア・ローガン。
言わずと知れたマーロン・ブランド。ヒロインのハナオギ(花荻)高美以子は日系二世。
率直に申し上げると、GIさん、あんた達は日本に何しにきてんですか、と思わずにいられない。
お淑やかに「尽くす」日本女性についてのファンタスムが漏れ出てますが、
しかし印象としては悪くないとすれば、それは結末でグルーバー少佐が軍規よりもハナオギを
選ぶからに他なるまい。
もっとも、最初は原作どうりにアメリカ人の恋人に戻っていく案だったのを、
後で撮り直してこの結末にしたという、その判断の仕方こそが面白い。
第一にお陰で伝統的「蝶々夫人」パターンから逃れることができた。
第二に、つまりは軍に喧嘩ふっかけてるようなもんだから、英断といってもよろしかろう。たぶん。
要するに、こういう結末も「あり」という程度にまで、時代が変わったということの証ではあり、
その背後には実際に日米カップルがたくさん生まれていた、という現実もあった。
マーロン・ブランドはせいぜい「おはようございます」と「どうぞ」ぐらいしか覚えないところが
いかんとも度しがたいのではあるが、しかし彼はさっさとキモノを着用するにおよび、
異文化に参入というか同化というかの姿勢を見せているのは確かであろう。
(1951年に日本で生活するということと着物を着るということは既にイコールでなかったのではとも思うが)
能に歌舞伎に文楽に茶とせっせと鑑賞しているのも同じことではあるけれど、要するに
アメリカ人向け日本案内ではあり、お決まりの「日本文化」の枠を越えるのは望むべくもない。
もひとつ面白いのは、松林歌劇団(大阪松竹歌劇団がモデルらしいので宝塚ではない。あやめ池遊園地)
に対するハナオギの恩義で、義理と個人の愛情との間に彼女の葛藤があるところなど、
ルース・ベネディクトか、とか勝手に想像する。
人形浄瑠璃鑑賞の伏線の後、ケリー(レッド・バトンズ)とカツミ(梅木ミヨシ)が「心中」する
というのも哀しい話であるが、それにしても「日本らしさ」の味つけがどこまでも典型的なのには
苦笑させられる。常にばりばりの晴れ着に頭に花を挿すハナオギも変といえば変だし。
この映画が当時に日本でもヒットした、という事実は、それはそれとして考える余地のある話でもあるが、
なにはともあれ、時代が色濃く出ている点で興味深く観られる映画でありました。