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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

小曲I

月一マラルメ
『愛の賛歌』という詩集に載せるため、挿絵に合わせて詩を書くも、
挿絵と合ってない、と駄目出しされて、お蔵入りした後、
Epreuve 『校正刷(ないし試し刷)』1894年11月号に掲載。
解釈はいろいろあるうちの一つ(のつもり)。

小曲 I


なんらかの 静寂が
白鳥もなく 岸もなく
己が廃れた姿を写し出す
私が逸らせた視線にと


ここで 虚栄から
それに触れることのできない高みにあり
その多様な空は自らを染める
夕陽の黄金でもって


けれども物憂いままに沿って行く
脱ぎ去られた白い下着のような
あのような儚い鳥 もしも沈むなら
傍の 悦びの女よ


お前がなった波の中に
お前の裸の歓喜
(Mallarmé, OEuvres cmplètes), t. I, Gallimard, "Pléiade", 1998, p. 34-35.)

さてまあ、モーパッサンは「絶望した懐疑派」であった、と言われれば
そうかとも思うけれど、しかしまあどうであろうか。
モーパッサンが1892年元旦に自殺しかけたのは、あれはもう病が進行して、
もう書けない、ということに「絶望」したのであってみれば、
あるいはまあ発作的なものであったかもしれないけれども、
文字通りの最後の理性が、己が肉体に下さんとした決断であった。
だから、こういう言い方は何ではあるのだけれども、モーパッサンはあの時に
死んでいたほうが彼にとってはよかったのかもしれない、と思う。
それはともかくとしても、モーパッサンは生きることに「絶望」したというのは
必ずしも当たるまい。
愛を信じないままに、たくさんの愛人と暮らした人。
ブルジョアを馬鹿にしながら、成金のブルジョアまるだしの生活をした人。
懐疑派モーパッサンは、刹那的だろうがなんだろうが、生きてる限りは
快楽を求めるに貪欲であったのであり、なるほど「懐疑」は深いとしても、
彼は生命そのものを見限ったりはしなかった。
そして何よりも、モーパッサンにとってもまた、生きるとは書くことであり、
書くことこそが真に生きることであった。彼は紛うことなき芸術家だった。
だから、書きうる限りにおいて、彼に「絶望」はなかった、と私は思う。
小林秀雄に文句をつける気なんて微塵もないのであって、
これは単に彼の言葉に対する私としての応答。それだけだ。