3年ほど放っておかれた、やりかけの翻訳の後半部を、
先日勢いで仕上げ、注をつけて一応本日完成。
ジュール・ルメートル 『ギ・ド・モーパッサン』
長いんですが、ご賞味いただければ幸甚です。
なにが凄いといって、
モーパッサンの短編を翻訳する人はこれからも出てくるだろうが、
こんなものを訳してしまうのは、私をおいて他にはおるまい。奇特だ。
てなことはまあどうでもよく、
保守派ごりごりのジュール・ルメートルの1884年のこの評論文は、
長ったらしい文体でああじゃこうじゃ述べたてるところが
どうにも古びてみえるのは確かながら(でもこういうのが教養つうものだったのだ)
結局のところはモーパッサン大絶賛の一文となっており、
前期モーパッサン短編の特徴を余さず取り上げている点はさすがというものだ。いわく
レアリスム
笑い
官能性
ペシミズム
緊密な構成
簡潔な文体
つまるところは現代的感性と古典的形式美の融合。
モーパッサンは現代におけるクラシックだと、84年の時点で述べているのは、実にえらい。
でもって結局のところは、モーパッサンの短編を評価するキーワードとして
これ以外のものなど、そんなにあるわけでもない、のかもしれず、
ゾラとブールジェの追悼文の次に、このルメートルを翻訳したかったのは、
批評家としての彼の曇りない視線に敬意を捧げたかったから、であるが、
それにしてもえらいことかかったもんだ。
ルメートルはもともと保守派であったが、ドレフュス事件を機に一気に右傾化し、
それもあってか今日彼の(評論はともかくも)戯曲に至っては顧みられることもない。
まあどう考えても常識的な人なので、その辺は致し方ないのかもしれないが、
それにしてもこんな風にちゃんと物の見えていた人が、「愛国心」がからむと
すっかり読み違えてしまった(んだと思うけど)、ということを考えると、つくづく感慨深い。