えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『男ごころ』について

『男ごころ』は、1890年に出版されたモーパッサンの長編、Notre cœur の邦題。
春陽堂全集3巻では品田一良によって『われらの心』と訳されていて、こちらが直訳(「心」は単数)。
ちなみに、『男ごころ』と意訳したのは昭和26年の中村光夫訳。
『われらの心』はモーパッサンの最後の長編となった作品で、
30代半ばのアンドレ・マリオルと、20代後半のミシェル・ド・ビュルヌ夫人(未亡人)との恋愛を語っているのだけど、
ド・ビュルヌ夫人はいってみれば「愛させるけれども愛することのできない」女性で、
アンドレは彼女の愛人になるけれど、彼女が他の男に媚を売り続けるのが許せずに、
嫉妬に悶々と苦しんだ挙句、ついに彼女を捨てて(というか逃げ出してか)田舎に引っ込むが・・・
というようなお話。


注釈は二点、というか煎じつめれば一点だけで、これは1890年代のフランス「現代小説」である、ということが鍵で、
それを考慮しないでいきなり今読むと、ちょっとついていけないかもしれない。
そのことの意味の一つめは、ベルエポックの上流社交界の爛熟した風俗が問題となっているということで、
お金持ちで美人でかつ知的な現代女性は趣味はとことん洗練されているかわりに、
素朴な情熱を失ってしまい、心から誰かを熱烈に愛することができなくなっている、
という作者の社会観、人間観をダイレクトに作品の主題としていること。
もう一点は、当時のアクチュアルな文学的傾向としての「心理(分析)小説」であるので、
登場人物自身による、あるいは作者の語りによる、現代人の心理はこれこれこうこう、という
分析というか説明というかが作品の大部分を占める、ということ。
1880年代のゾラ流の自然主義小説や、前期モーパッサン自身の短編小説の多くは、
人間の内にある「自然」、動物的情動に主眼を置いたために、
(人間なんてしょせん本能に盲目的に従ってる点で動物と変わらへん、という人間観)
結果として、もっと微妙で繊細な「心理」を描くことをおざなりにしてきた面があり、
モーパッサン自身もしばしばその点を批判された。
一方でフランスには『クレーヴの奥方』以来の「心理小説」の伝統というものもあって、
自然主義への批判から、1890年代頃に「心理を描く」小説への回帰という流行が見られる。
(その流れの極点にプルーストが待っている。)
モーパッサンという人が興味深いのは、たった10年の小説家としての経歴の中で、
この「外面」から「内面」へ、情動から精神へ(付随的に、下層階級から上流階級へ)、
と、作品の性質を大きく変化させていったことに(も)ある。
のだけれど、残念ながらフランスでも日本でも、この後期モーパッサン(とくに長編)は
もひとつ一般受けがよろしくないようで、早い話が「古びて」みえるんだなこれが。
移り変わりの激しい風俗を主題に据えたことが問題だったように思えるのだけれど、
そんなこといったって『失われた時を求めて』は今も愛読されているのであってみれば、
やっぱり作品そのものに問題あるのか、と問わないわけにもいくまいが、
百聞は一見にしかず、ぜひとも実際に本を手にとって、ご一読あれぞかし、
というように思います、龍之介さん。


や、説明が辛気臭かったか。
ま、あれです、中年のおっさんのどうしようも救いのない恋心とはかようなものであるか、
というのがこれほどしみじみ描けてる小説もそんなにない(たぶん、よう知らんけど)。
中村光夫はそこんところに共感して『男ごころ』なる題をつけちまったのかもしれない
けれど、しかしこの小説ではモーパッサンは「女ごころ」の分析にも力を入れてるので、
ここは一つ「恋愛指南の書」とベタに大きく出させていただきましょう。いわく、


モーパッサンの最新作『われらの心』は、現代人の複雑かつ難解な恋愛心理を精緻に分析・
解明して余すところのない傑作長編。恋に悩む全てのあなたに捧げる、恋愛指南の必読の書、ここに登場!


たぶん当時の出版社が今みたいだったら、こんな文句で売ったのじゃないかしら。
なんか違うか(というか、この文句自体が古臭いだろう)。
残念ながら有名どころの文庫に入ったことはないようですが、ぜひ図書館その他でお探しになり、
今後ともモーパッサン通を名乗ってくださいね。
駄文、失礼いたしました。