えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

『パリの秘密』の社会史

まっとうな仏文の人になろう。
と思って読書。
小倉孝誠、『「パリの秘密」の社会史』、新曜社、2004年
ウージェーヌ・シューの『パリの秘密』(1842-1843)が大ヒットした、というのは
19世紀仏文学史の「常識」ではありながら、「大衆小説」の流行で片づけられ、
今では読む人もあんまりいない、というのもこれまた常識となっている。
『パリの秘密』や『さまよえるユダヤ人』が当時、何故、社会的事件となりえたのかを
ジャーナリズムの隆盛と時代状況を踏まえつつ、作品内の主要なテーマを洗い出すことによって
明快に説き明かす好著。ていうか見事なお手前。
結論部から引用。

 新聞小説を含むロマン主義文学は、基本的には民主主義に賛同した文学と言えるだろう。思想的にフランス革命を継承した文学として、ロマン主義作家はみな多かれ少なかれ政治化していた。理性にたいする感情の復権、自然の賛美、感覚の解放、愛の称揚、幻想性といった側面もたしかにロマン主義の要素だが、しかしそれだけではない。おそらくそれらにもましてフランス・ロマン主義を特徴づけているのは、その政治性であり、イデオロギー性にほかならない。政治は、政治家にだけ任せておくにはあまりに重大なことがらであった。この世代の文学者たちは小説家も、詩人も、歴史家も、哲学者もみな例外なく、近代世界を解読し、社会を読み解き、歴史の流れの原理を探求しようとした。国民を教化し、民衆の導き手になれる、いやなるべきだという矜持の念を隠さなかった。ジョルジュ・サンドバルザック、ラマルチーヌ、シュー、ユゴーミシュレ、ギゾー、コントらはいずれもそうした自負と野心を共有していた。その意味で、シューはミシュレや、ユゴーや、フーリエと同じイデオロギー風土のなかに棲息していたと言える。(266頁)

そこにおいて新聞連載小説は、イデオロギーをダイレクトに無数の民衆に伝達できる新しい媒体であったから、
シューの小説はすこぶるアクチュアルな政治的言説として読まれた。
だからそれは「事件」と呼ぶに値する何事かだった。


19世紀前半は熱い時代だったねえ、というのが第一の個人的感想。
共和制を実現するという明確な理想があった時代に比べると、
その共和制が実現し、安定期に入った1880年代に作家であることは、
なんつうか張り合いにおいてだいぶ緩まざるをえない気がする。
90年代に緊張が高まってくると、作家は再び政治化するのだけど。


電話もラジオもテレビもインターネットもない時代には、
新聞が唯一、一般大衆が「今の世の中」について知ることのできる情報源だった
という事情は、19世紀後半でも基本的に変わらない。
改めてそのことを考えた、というのが二つ目。
当時新聞が持っていた威力を、正確に感じ取ることは本当にむつかしい。


書中の引用から推察するに、シューの文章は相当に教化的、ていうか説教くさい。
読まれなくなる理由はやっぱそこだな、というのがどうでもいい三点目。
『モンテ・クリスト』はぜんぜん説教臭くなくはなかったか、と。
作品の賞味期限というのは、これもなかなかむつかしい問題で。


さあ、仏文するぞお。