えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ブリッソンとフェミニスト

自称正しいフツブンの人になった途端、本が買いたくなってしまう。
あれこれ放浪。半分かた無駄遣いやもしれぬ。


放浪していたらガリカ(リニューアルしているのも知りませんで)で
Adolphe Brisson, Pointes sèches, Armand Colin, 1898.
に出くわす。なにやら懐かしい名前。題は「鉄筆」のことらしい。
アドルフ・ブリッソン (1860-1925)は劇評家。Le Théâtre et les moeurs を書き継いだ。
Annales politiques et littéraires はお父さんのジュールが、
息子のために作った雑誌(本当かよ)で、アドルフはフランシスク・サルセーの娘と結婚した、
と、ウィキペディアに書いてある。なんや狭い世界やな。
でまあ、この中の123-131頁が「ギ・ド・モーパッサン」に割かれていた、と。ふーん。
彼が他の記事でより詳しく記している、モーパッサンの少年時代の詩篇の紹介を除けば
たいして目新しいこともないのだけれど、小ネタを二つ採集。
1 「脂肪の塊」を読んだフロベールは、ギイの母親ロールに宛てて、称賛の手紙を書いた。
この手紙はたぶん現存しない。でも書かれた可能性は十分にあるだろうなあ。
(翌日の修正:私の大間違い。2月11日付書簡で、フロベールはロールに宛てて
「脂肪の塊」を素晴らしいと記しているではないか。やれやれ、失格だ。)
2 晩年のモーパッサンに、ヴィクトリヤン・サルドゥー(『トスカ』の元ネタ)がアカデミー入りを勧めたが、
モーパッサンは断固断り、「アカデミーも勲章もご免です」とぶちまけた。
アカデミー入りを勧めたのはデュマ・フィスというのが定説かと思うが、
まあサルドゥーも言ってても驚きはしない。
そいだけ。
入っても注にしかならんような小ネタですなあ。おまけにこの手の証言の信憑性は測りがたく、
現にブリッソンは、フロベールは『メダンの夕べ』を読む前に亡くなったと、誤りを犯している。


それはそうと、この書の別のところは、ルネ・メズロワについても割かれていて、
おお、久しぶりにメズメズとご対面。

 Si l'on cherchait à se représenter, en un type accompli, le romancier féministe, il suffirait de dessiner, du bout de la plume, M. René Maizeroy.
(A. Brisson, Pointes sèches, Armand Colin, 1898, p. 69.)
 もしも、完璧なタイプとしてフェミニストの小説家を思い描こうとするなら、筆の先でルネ・メズロワ氏を描いてみれば、それで十分だろう。

うむ、誤訳だ。
フェミニスト」の語はリトレに載っておらず、トレゾールでみると初出はデュマ・フィス(1872)らしく、
最初の頃は「女好きな」という意味でも使われていたらしい。
ブリッソンによれば、この「フェミニスト」な作家とは、単に女性のお気に召すだけではなく、

Le féministe digne de son nom ne se contente pas de captiver ses clientes: il les séduit, il s'insinue dans leur intimité, il leur montre à de certains signes, diffciles à déterminer, qu'elles peuvent avoir confiance en lui. Il n'est pas seulement un amuseur, il est le confesseur et l'ami de celles qui dévorent ses ouvrages...
(Ibid.)
その名に値するフェミニストとは、女性客の心を捕えるだけで満足はしない。彼は彼女たちを誘惑し、彼女たちの内密の領域にまで入り込み、それと定めがたいような印でもって、自分が彼女達の信頼に足る人物であることを示す。彼は単に楽しませるのではなく、彼の作品を熟読する女性達にとっての聴罪司祭にして、男友達なのである・・・。

そういうわけで、我らがメズメズは「ご婦人御用達」の作家である、ということが書かれている。
それにしても、言葉の意味はずいぶん変わるものである。


はて。これで私は正しいフツブンの人なのかしら。
なんにせよ、話はとことんマイナーになっていく定めなのであった。あう。