えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

仏文猫2

がんばれ猫2

竜之介さん毎度どうもありがとうございます。
嬉しがって、もう一匹。
2005年頃の仏文キャットを、これもリニューアルしてみました。
猫と言えば、ボードレール
ということでちょっと引用。

瞑想にふける猫たちの、気高い態度は、
寂寥の地の奥に身を伸ばした、巨大なスフィンクスの、
果てもない夢に眠り入るかと見える姿にさながら。
(「66 猫たち」、『ボードレール全詩集』1巻、阿部良雄 訳、ちくま文庫、158頁)


柳瀬尚紀さんは愛猫に敬語を使って「おしっぽ」とおっしゃるそうで、いわく。

(前略)猫の品格に恥じないようなニンゲンとしての品格を維持しなければならない。
柳瀬尚紀、『日本語は天才である』、新潮文庫、2009年、113頁)

猫と人間との関係は、まあそのようなものであろうかと。


さて本題。宜しいどころか日々これ手ぐすねひいて待ち構えているようなご質問、
喜んでお答えいたしましょう。
そうそう、3千円は良かったですね! これはもう破格のお値段と思いますよ!!


1 モーパッサンは短編を幾つ書いたのか。
春陽堂全集3巻には、私の数え間違いがなければ、
2巻に192編、3巻に112編、計304編が載っています。
(『パリのブルジョアの日曜日』は10編で1話といちおう勘定。)
フランスで一番質の良い作品集、プレイヤッド版では
1巻に172編、2巻に129編+補遺に5編の134編、計306編が載っている。
モーパッサンの短編小説の中には、クロニック(時評文というかエッセーというか)
と判別つきがたいものが幾つかあって、これを数えるか数えないかで数が変わってくる
のだけれど、細かいことを言わなければ、全部で300、ということですね。
ちなみに、補遺を除くと、プレイヤッドにあって翻訳全集に入っていないものに、
"Conflits pour rire"(おかしな対立)、「オルラ」の短い版、"La Toux"(咳)
(「咳」は後年に発見されたもの。雑誌『パニュルジュ』掲載の滑稽譚、つうか馬鹿話。)
それから、初期の習作『エラクリウス・グロス博士』があるのですが、
これにはなんと翻訳があります。
モーパッサン 『エラクリウス・グロス博士』
て、私の訳ですが。他では読めない本邦初訳のはずですので、
よかったらお読みいただければ嬉しいです。
はともかく、従って中短編はほぼ全部翻訳されている、といっていいわけです。
ひとまず次のご質問に。


2 モーパッサンを知る上でのお勧め書籍は何か。
モーパッサンを巡って」の「文献目録」をぜひご参照いただきたいところですが、
モーパッサンについて書かれた書籍は、思いの他少ないのが実状です。
まず、
村松定史、『モーパッサン』、清水書院 「人と思想」、1996年
は、これからモーパッサンを読みたい人向けの入門書。
前半が簡単な伝記、後半が作品紹介になっています。
もう一冊挙げるなら、古い本だけども、
大塚幸男、『流星の人モーパッサン―生涯と芸術―』、白水社、1974年
モーパッサンについて日本人が書いたほぼ唯一のモノグラフィーで、
60年代までの研究の中心、ヴィアル、コニー、ドゥレーズモンあたりを押さえた上で、
伝記を軸にしながら、各作品についても語っている。
図書館ででも探して一読されてもよいかと思います。
翻訳で2冊(てか、これしかないんだけど)。
アルマン・ラヌー、『モーパッサンの生涯』、河盛好蔵・大島利治 訳、新潮社、1973年
これを訳した翻訳者は偉い。
アルマン・ラヌーは自身も作家なので、この伝記の面白いところは著者自身の解釈が
ばんばん入っているところ。フランスではモーパッサンの伝記は何冊も出ている中で
アンリ・トロワイヤも書いてるんで、誰か訳してよ、と思うんだけども、
しかしまあ正直に言って平板な内容であるのは否めない、か。)
結局今でもこれが一番読んで面白い、のかもしれない。
ただし内容はところどころ大変マニアックで、ちょっと取っつき難い感じがあります。
河盛好蔵さんはえらかった、というのが、
ステファン・クールター、『モーパッサンの情熱的生涯』、河盛好蔵 訳、文藝春秋、1963年
英語で書かれたものの仏訳の翻訳(ただし原典も参照)で、
これが何かというと、
モーパッサンの生涯を語ったフィクション作品!
50年代にこれだけ調べているのは偉いと思うけれど、事実と想像が混在しているので、
モーパッサンがセーヌ河でシスレーやカイユボットと遊んでたりする。
話としては面白いが、そこまで親交があったかどうか、等々。)
大変読みやすい一方、通向けの感じもしなくはない。
次から次に恋人、愛人が出てきて、まあ実際そんなようなものだったろうとはいえ、
いささかやりすぎで、妙に通俗的なんだなこれが。
古いところばかりでなんですが、ひとまずはこんなところでしょうか。
そうそう、件の翻訳全集3巻所収の大西忠雄せんせいによる
モーパッサンの生涯と作品」は、伝記をけっこう詳しく語っていて、充実していますので、
これが一番お勧めかもしれません。
あ、そうだ。
野崎歓、「もてる男モーパッサン −『ベラミ』」、『フランス小説の扉』、白水社、2001年、p. 104-134.
これはお勧めできます。『ベラミ』の面白いところを語って鮮やかな腕前です。


これ以外となれば、より幅広く19世紀フランス(文学)について語る本となりますが、
長くなるので、それについてはまた次の機会にします。


3 モーパッサンはどんな性格だったのか。
これに関しては、彼の作品を読み進んでいく中で自分の中に出来上がっていくイメージ
というのが一番大切なんじゃないかと思います。そしてそれは人それぞれ微妙に違う
ものなんだろう。なのでそれについては(なるべく)触れないでおきましょう。
という留保の上で、当時の証言なんかの語るモーパッサンは、
一言で言うと「いい奴だった」ですな。ははは。
彼は20代はボートマン、30代はヨットマンと、19世紀フランス文学では稀有のアウトドア派で、
友人、仲間たちとボート漕いで馬鹿騒ぎするのが大好きだった。
陽気で快活で頑強で健康。そいで女好き。
「誰からも愛された」とはゾラの言葉で、
その健康さが初期の短編には溢れ出ているのだけれど、当時誰もがその逞しさを称えた
モーパッサンは、実は20代の頃から病気にひどく苦しんでいた。
健康が失われること。そこから老いと死に対する恐怖や、
この世界に対するペシミスティックな見方が生まれてくる。
もっぱら病気のために、晩年のモーパッサンは機嫌の悪いことが多かったのだけれど、
基本的には家族と友人を大事にする「いい奴だった」
というのが、まあ私の偏見入ってるかもしれませんが、ギ・ド・モーパッサンでした。


4 モーパッサンロシア文学
評論「「ニヒリズム」という語の発明者」の中では、
プーシキンレールモントフゴーゴリトルストイの名を挙げているので、
これらの作家は多少なりと読んでいたと思われます。
ドストエフスキーの名は残念ながら出てこない。
トゥルゲーネフはフランスに滞在し、フロベールの友人であったところから、
モーパッサンも親しく付き合っていたので、まあ思い入れは段違いですね。
好きというか、これはもう敬愛していた、ということになりましょう。


はい、長くなってしまいました。
最後に、翻訳全集に戻れば、
詩集、長編6、短編304、旅行記3が収められているのは大したものです。
他にあるのは、
演劇(若い頃のが3、後年に2つ)で、平野威馬雄訳が出たことあるようだけどこれは未見。
若い頃の三本は、これも訳してありますので、もし興味がおありならどうぞ。
そして、一番問題なのが例のクロニック(時評文)で、
その数およそ200強。
(研究者ドゥレーズモンは250挙げているが、
中には匿名で書かれたアフリカ・レポートなどもあって、これがモーパッサンの真筆なのかどうかは
議論の余地があるような、ないような。)
その内の主なものは3冊の旅行記に「吸収」されているとはいえ、
ここにおいてモーパッサンは、当時のアクチュアルな政治・風俗・文学について
率直な言葉で語っている。ジャーナリストとしてのモーパッサンの筆の冴えには、
小説家モーパッサンとはまた違う一面があって、確かにばりばりの時事ネタものは
今読んでもよく分からないことが多いのだけれど、でも、すごく面白いものも少なくない。
従って、トータルでいえばモーパッサンは500本以上の「記事」を新聞・雑誌に発表した。
しかも10年(実質的には7、8年)の間に、ということです。
そういうわけで、この時評文が翻訳されてこなかったのは本当に残念!
ということで、まずは文学関係をはじめに、細々とこれも拙訳を試みているわけです。
いまだ20数本。ライフ・ワークですかね。
なので、ぜひとも待望の全集3巻を楽しまれますように願うと同時に、
表の顔「モーパッサンを巡って」ともお付き合いいただければ、
これに越した喜びはありません。
ではでは、どうぞよい読書を。再見。