えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

セゼールの微笑

Aimé Césaire 2

今週より(気分は)15週間耐久レースの開始。
一緒に描いた後年のセゼールでも掲載。お洒落。


竜之介さんお返事どうもありがとうございました。
着々とモーパッサン読書が進んでいるようで、
うらやましく思いもします。

頂いたご質問に、少しずつお答えをしたいと思います。
私が、モーパッサンはええなあ、と思った瞬間はいくつもあるのだけれど、
そのひとつは『ピエールとジャン』冒頭掲載の「小説論」の中の一節。
「才能とは長い忍耐に他ならない」というボシュエの言葉を
フロベールせんせいに教わったと語る、有名な個所の、その少し前、
既に数多の天才が、すべてを言い尽したかに思われる現代にあって、
それでも新たに何かを言おうとすることは、いかに困難なことであるか、
と述べた後、彼はこう続けています。

 Les hommes de génie n'ont point, sans doute, ces angoisses et ces tourments, parce qu'ils portent en eux une force créatrice irrésistible. Ils ne se jugent pas eux-mêmes. Les autres, nous autres qui sommes simplement des travailleurs conscients et tenaces, nous ne pouvons lutter contre l'invincible découragement que par la continuité de l'effort.
(Maupassant, Romans, Pléiade, 1987, p. 712.)
 才能ある者ならば、恐らく、こうした苦悩や煩悶を抱くことはないのだろう。彼等の内には抵抗できない創造力があるからだ。彼等は自分を自分で判断するようなことはしない。別の者達、ただ単に意識的で忍耐強い労働者である我々が、打ち克ち難い落胆の念を相手に戦うには、ただ努力を持続させるしかないのである。

もちろん、モーパッサンにも才能があったわけだけれども、
ここには単に謙遜ではないものがある、と私は思う。
モーパッサンフロベールやトゥルゲーネフという先人と親しく交際するなかで、
「この人たちにはかなわない」ということを、素直に認めていたのではなかろうか。
努力せい、という根性論は説教くさくなってしまうものではあるけれど、
「我々他の者達は」と語るモーパッサンという人に対して、私は、
バルザックフロベールといったほんまに凄い人達に対してよりも、
もっと親しみのようなものを感じることができる。
それがいいことかどうかは分からないけれど、
私がモーパッサンと長く付き合ってもいいかな、と思った理由の一つは、
確かに、そんなところにあるようです。
続きはまた近々に。
どうぞ、これからも楽しい、よい読書を。
お気づかいのお言葉にも感謝いたします。