えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ご返事の続き

Guy de Maupassant

貴重な休日。
まだ時間のあった頃に描きのこした、モーパッサンを載せつつ、
ご返事のつづきを書きます。遅くなりましてどうもどうも。
私がモーパッサンに惚れた、数多あるうちのもう一つの機会は、
旅行記『水の上』の一節にあります。
もともと、
1886年6月8日『ジル・ブラス』掲載の"Misère humaine"「人間の悲惨」は、
ジャン・デスパールなる人物の語りとして書かれたのだけれど、
そのエピソードがそのまま、この「旅行記」に収録されている。
それ自体たいへん興味深いことであるのだけれど、それはともかくおいといて、
そこで語られているのはこんなお話。
とある秋の日、雨の中犬を連れて狩りをしていた語り手(=モーパッサン?)は、
馬車で患者の家に行くところの医者に出会い、彼に付き添うことを承諾する。
夫と息子はジフテリアに感染して既に亡くなり、妻と娘もまた感染し、
寝床に伏せたまま、死を迎えつつある。
火の気もなく、暗く湿った部屋の中で一人、母娘をしばらく看病した後、
看護人が来たのを機に、逃げるようにそこを立ち去った。

La vie ! la vie ! qu'était-ce que cela ? Ces deux misérables qui avaient toujours dormi sur la paille, mangé du pain noir, travaillé comme des bêtes, souffert toutes les misères de la terre, allaient mourir ! Qu'avaient-elles fait ? Le père était mort, le fils était mort. Ces gueux pourtant passaient pour de bonnes gens qu'on aimait et qu'on estimait, de simples et honnetes gens !
(Maupassant, Contes et nouvelles, Gallimard, Pléiade, t. II, 1979, p. 756)
人生! 人生! それは一体何なのだ? この二人の哀れな者達は、いつも藁の上に寝て、黒パンを食べ、動物のように働き、この世のあらゆる悲惨に苦しみ、今や死のうとしている! 彼女達が何をしたのか? 父は死に、息子も死んだ。この貧しい者達とて、いい人物として知られ、愛され、尊敬されもした、素朴で善良な者達だったのだ!

この文章を『水の上』に入れたということは、これが著者の実体験だったから
かもしれないし、実はそうではないのかもしれない。いずれにせよ、なんにせよ、
こういうことは現にあったし、現にありつづけているし、
そのことを誰も否定できはしないだろう、と思う。
さて、『水の上』においては、モーパッサンはこのエピソードを
次の言葉でしめくくることになる。
その日の彼は、召使いが美味しい料理を用意している暖かい家に逃げるように帰った。

Mais je n'oublierai jamais cela et tant d'autres choses encore qui me font haïr la terre.
(Maupassant, Sur l'eau, Folio classique, 1993, p. 100.)
けれども、私はこのことや、その他に多くの、私をしてこの世を憎ませる事どもを、決して忘れまい。

『水の上』は全体としてみれば、こうしたいわゆるペシミズムに溢れているばかりの書物ではない
ということは急いで付け加えておきたい。それはそうなのだけれども、
私はこの一文を記すモーパッサンという人に、強く共感を覚える。
ということは、私が「この世を憎んでいる」ということを直ちに意味しない。
意味しないのだけれど、しかし何と言うのだろう。
つまるところここにモーパッサンの誠実さが現れていると私には思えるし、
彼のものの見方に対して、いってみれば全幅の共感と信頼を寄せることを、
私が自分に許すことができるのは、彼がこういう言葉を記しているからなのだ、
というように、改めて考えてみて、そう思うのです。
さて、しかし、世界をこのように見るモーパッサンであれば、
彼が簡単に(キリスト教の)神を信じることなどできなかったのも、
十分に理解できるように思うのだけれども、
ということでモーパッサンキリスト教についてのお話は、
これまた次回に、ということで。