えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

奥方よ

土曜日、月一マラルメ。新しい人に会えるのはよいことだ。
久しぶりの愛する中華屋で、
紹興酒で撃沈し、
計15時間ぐらい寝た挙句、起きたら鼻がぐずぐずする。


1896年2月10日『フィガロ』紙に掲載。詩集収録はなし。
1888年年頭に、メリー・ロラーンに贈った詩を改変したもの。
以下、異論続出の果ての、結局の拙訳もどき。
アレクサンドラン(12音節)のソネ。

奥方よ
   残酷であれ引き裂かれているのであれ 無垢なる
緋の衣に倦み疲れもし 己が肉の内に
ダイヤモンドの泣くのを聴こうと 紐を解く
薔薇を 燃え立たせる情熱がありすぎることもなく


そう、あの露の危機もなく そして優しげに
嵐の空が共に過ぎるとはいえ 感情に満ちた
あまりに真実の 素朴なる日々に
我知らぬ空間をもたらすことに執着する そよ風もなく


つまり、あなたの額の上に
その自発的な優美さが再び生まれる 一年一年の年で
見た目には十分であると思われませぬか 私にとっては


新鮮な扇が部屋の中で揺らぐように
ここに必要なわずかの感動で 単調なる
生まれながらの我々の友情を 蘇らせるには。
(Mallarmé, OEuvres complètes, Pléiade, t. I, 1998, p. 56-57.)

年改まり、あなたは生まれ変わったのごとく美しい。
私たちの穏やかな友情も、バラの花が今年も咲くように生まれ変わって
今年も仲良くしましょうね。
というようなことを言うているのではありましょう。
百戦錬磨の高級娼婦にとって、マラルメのようなおじさん芸術家は
体のいいお飾りであったに違いあるまいや。とは思うけれど、
それはそれ、彼女が詩人にとって伝統的なミューズの役割を果たした、
というかマラルメが意識的にそういう役割をお互いに振り当てた、というか
そういうことが実際にあったのであれば、彼女の存在の意義は無視できない。
そもそもプライヴェートな作物を、二人の関係が冷めた後になって、
改変を施したうえで、公にしたことには、またどのような意味があったのか。
と、いろいろ興味の尽きない一品になっております。
それにしても、こういう詩を贈られた当のメリーさんは、
一体それをどのように受け止めたのでありましょうか。