えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ナポレオン伝説とパリ

杉本淑彦、『ナポレオン伝説とパリ 記憶史への挑戦』、山川出版社、2002年
軍人には何の関心もないので、ナポレオンその人には興味が湧かないのだけれど、
しかし19世紀フランスにおいて、「ナポレオン」はやはり無視できないね、
と、今さらのことを今さら思っていたので、この本を手に取る。
各体制下において「ナポレオン」という記号がどのように利用され、
また為政者の思惑を超えて機能したか、を明快に叙述した書。
実際のナポレオンは碌でもないことを色々やったのではあるけれど、
そういう面は切り捨てて、復古王政七月王政に対する不満、
70年代以降は対独報復思潮が、「ナポレオン伝説」を召喚する。
ときに「革命の子」として、ときに「軍事的英雄」として。
この「ヒストリア」のコレクションは良書そろいと見る。
(ところで杉本せんせいのヴェルヌの本は購入したまま読めずにいますが。)
今のフランスにおいて「ド=ゴール」の果たしているところの役割が、
いささか往時の「ナポレオン」にかぶって見えなくもないかなあ、
というようなことはともかく、普仏戦争敗北後のナポレオン黄金伝説について、
改めて引用をば。

 フランス=プロイセン戦争敗北の衝撃を受けて、第三共和政期のナポレオン黄金伝説は、「革命の子」というよりは、軍事栄光の物語として言祝がれるようになっていったわけだ。そして、世紀末に向かうにつれ、フランス・ドイツ・イギリス・イタリアなどの帝国主義諸国間で軍事衝突の危機が高まり、これが、フランス国民のあいだに、かつてのヨーロッパ大陸の覇者、そしてエジプトをも征服した軍事英雄としてのナポレオン伝説を、ますます浸透させていった。対独復讐と対外戦争。このような、国外に向けられた不満感が、ナポレオン黄金伝説に再生の命を吹き込んだのだ。(186-187頁)

ふむ。
まさしく、そのような土壌の上にこそ、モーリス・ルブラン
モーリタニア皇帝アルセーヌ1世を、さながら蘇ったナポレオンのごとく誕生させたのであった。
大衆文学が集合的心性をすくいあげた、実に見事な事例ではないか、
とまあ、私は思っておるわけです。