えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

マゾッホ英訳

ザッヘル・マゾッホ、『マゾッホ情艶小説集』、木村毅 訳、白凰書院、1949年
なんていう本がありまして、他の版もあるが、中身は同じと考えてよかろう。
その「序」にいわく、

 本譯のテキストにはマシイソン版の英譯を用ゐた。原作には當局の忌憚に觸れるやうな描寫は一箇所もないから、不愉快な伏字から全く解放せられて意義あるマゾッホの作の最初の提出をなし得ることは私のひそかに欣快とする所である。(3-4頁)

この時の「当局」とはGHQの検閲ということでよかったか。
それはまあともかくとして、「マシイソン」とは Mathieson に他なるまい。
恐らく、基になったのはこれであろう。
Sacher-Masoch, Tales of the Court of Catherine II and other stories, London, Mathieson & Co., Ltd., n. d. [1896].
(こういう本がある、ということは以前から知っていたのではある。)
ブリティッシュ・ライブラリーのカタログ記載に翻訳者名がないのは、
原本にも記されていない、ということなのか、どうなのか。
なんにせよ、1896年とは、「食後叢書」が出版され始めるのと同じ時期である。
奇しくも、と言うべきかどうか。


さて、ではこの本の基になったものは、何であろうか。
Sacher-Masoch, Russische Hofgeschichten. Historische Novellen, 4 Bände, Leipzig, Ernst Julius Günther, 1873-1874.
「ロシア宮廷物語 歴史小説集」というのでええのか自信がないが、
これの3、4巻に、(和訳に)該当する作品が散見される。
ただしこの作品集は、形を変えての再販が何度もあるので、
後年の版から取ってきた可能性も大いにある。


さて。
つまり Mathieson なる出版社の近辺には、
A マゾッホを英訳した人物
B モーパッサン(およびリシュパン)を英訳した Whitling なる人物
が存在したのである。
この両者が同一人物の可能性は、依然として否定しきれないが、
いずれにせよ、「食後叢書」にマゾッホ作品が混入した原因はここにあるのだろう。
であれば、Whitling が仏訳から重訳したという可能性は排除していいかもしれない。


要するにこの本屋のとっ散らかった(と推察される)編集部においては、
あれやこれやの翻訳原稿がごちゃまんと積まれており、
なんやよう分からんけど、これ全部モーパッサンみたいやから、
さっさと印刷回しといてんか、
てな程度のすこぶるつきのいい加減さで出来上がったのが、
After-Dinner Series こと「食後叢書」だったのではないのかね。
そうじゃなきゃ、一体なんでこんなことになったというのか。
もしかして、Whitling さんは出版途中でお亡くなりになるか何かして
(間違ってたらまことにあい済まないけど)
それでかような混乱が生じたのだろうか、
とか適当なことをあれこれ思いつつ、
しかしまあ、分かんねえもんは分かんねえんだな、これが。


ふむ。それだけのことではあった。
せっかくなので、興味深い記述を引用して、今日はおしまいにしよう。

 これで思出す。私達の少年時代、丁度あの日露戦争の時、日本の諸新聞雜誌は露國への敵愾心を煽るためカテリナ二世の數々の淫虐を記載したものだが、そのなかで或る戦時畫報が本書の第二話『女袴のネロ』と同じ話を記載してゐたのを、讀んだ事がある。果してそれがマゾッホのこの作によつたか、或は別にさうした歴史か傳説があるのか、今日討究してみたら面白いだらう。(3頁)