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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

写実主義の極致

2日会議。夜、鶏づくし。
昨日から採点期間に入るが、嫌いな仕事なので逃避多し。
ふらふらと訪れた古本屋さんのサイトで、
『モウパッサン全集 第二篇 生の誘惑 他十五篇』、前田晁譯、天佑社、大正9年10月17日発行(同年12月18日5版)
同、『第三篇 戀の力 フオル・コム・ラ・モオル』、矢口達譯、天佑社、大正9年11月20日発行(大正11年7月8日5版)
を購ってしまう。
2年数か月前に、天佑社版全集の広告がなんか凄い、という話をしたことがあるが、
これを機会に刊行の辞をぜんぶ引用。

「モウパッサン全集」刊行に就いて


 十九世紀後半、文藝は殆ど全く自然主義寫實主義の領するところとなつた。そは、科學の異常なる發達に導かれ、個人の覺醒に率ゐられ、自我の解放に伴われて起つた極めて自然な結果であつた。抽象的研究を去つて實驗的探究に赴き、形式を棄てゝ人間の直接經驗に從ひ、空想誇張を忌避して無飾なる現實に奉仕しようとした時代思潮の表現であつた。
 近代小説家の中で、名實共に眞の自然主義者であり、寫實主義を徹底して其の極地に達せしめた偉大なる小説家を求めれば、獨りフランスのモウパッサンを得るのみであらう。彼は一意自己の嚴粛なる主觀を通じて人生の眞實相を觀ようと努め、眞純なる自然の再現を期して邁進した勇者である。
 彼が人生を觀照する態度は誠實であり嚴正であり沒私念であつた。從つて彼の描いた人生は些かの粉飾も施されては居ない、實に生命本然の姿である。彼が經驗し觀照したる所を描出した技巧に至つては、藝術家としての彼が天稟に只々驚嘆するばかりである。直截にして簡潔、明快にして奔放、自由にして麗美、殆ど他の追從を許さないものがある。
 彼の作品は處女作『ブール・ド・スイフ』から最後の作『ノートル・クール』に至るまで殆ど忌憚なき性慾描寫であるが、やゝもすれば世に怖れられるが如く、實感を刺戟したり嫌厭の情を催さしめたりするところは全然ない。却つて明確清澄の主觀と嚴正無飾の描寫とに人の襟を正さしめるものがある。
 十九世紀の文藝思潮を知り、自然主義寫實主義の眞深の本義を解し、且つ藝術の國フランスの藝術の粹を味はうとするの人士は、是非このモウパッサン全集を味讀せねばならぬ。これ、吾人がこの普遍的な世界の名作を我讀書界に薦める所以である。
(『モウパッサン全集 第二篇 生の誘惑 他十五篇』、前田晁譯、天佑社、1920年、1-2頁。)

そんなに悪くない。たいへんまっとうな文章ではあるまいか。大仰ではあるけども、
「直截にして簡潔、明快にして奔放、自由にして麗美」とはなかなか上手い。
これを書いたのは前田晁あたりでもあろうか。
「生の誘惑」は「イヴェット」であるが、
サヷルにセルヸギイにイヹットという表記にしびれる。
Servigny 「セルヴィニー」が「ギイ」となったのは、読み方よく分からなかったのかしら。
ついでに伏字を一箇所みつけたのでご報告しておきましょう(なんでや)。

 ただ一つが明るかつた。それは母親の部屋の窓だつた。と、不意に、二つの影が明るい方形の中に現はれた、並んだ二つの影が。するうちに、二つはぐつと近く寄つて、ただ一つになつた。そして新らしい電光が、家の前面に其の迅速な目を眩ますやうな閃きを投げた時に、彼女は、二つが腕を互ひ(伏字25字)を見た。(93頁)

ふむ、原文が知りたいとおっしゃる。ではそのように。

Une seule était éclairée, celle de sa mère. Et, tout à coup, deux ombres côte à côte. Puis, se rapprochant, elles n'en firent plus qu'une ; et un nouvel éclair projetant sur la façade un rapide et éblouissant jet de feu, elle les vit qui s'embrassaient, les bras serrés autour du cou.
(Maupassant, Yvette et autres nouvelles, Folio classique, 1997, p. 111.)

腕を互い「の首にからませて接吻しあっているの」を見た。てなものでしょうか。
まこと他愛もないもないものでありましたとさ。
てなことをしている場合ではなかった。
3巻の矢口達は「セント・ダンスタン・ソサイエテイ」英訳全集に因りつつ、
「折々便宜のため原書を参考とした」(2頁)と記しているが、
前田晁が何に因ったかはもうひとつ不明。
いずれにせよ、2巻には偽作は入っていないので、それがちと残念でありました。
さあこの夏はモーパッサンを「味読」しよう、
と思いつつ、その前に採点を終えねばならないのであった。