えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

みたびの家鴨

モーパッサン、『快樂』、長塚隆二譯、三笠文庫、1952年
いまさらですが、50年代、60年代には巷の文庫にモーパッサンが溢れていました。
それにしてもこの「快楽」なるタイトルは何なのか。
とずっと思っていたのであるが、現物を見て納得する。

 以上、『マスク』、『メゾン・テリエ』、『モデル』の三作がそれぞれ快樂と愛情、快樂と純潔、快樂と死をテーマとする物語りとして、さきに輸入された『輪舞(ラ・ロンド)』と同じくマックス・オヒュール氏監督の下に映畫化され、近く日本にも輸入されるそうである。この映畫の題名が「快楽」(Le Plaisir)であり、また三笠書房からの依頼もあつたので、とくに本譯書に『快樂』という題名をつけたしだいである。(97頁)

なるほど。
すなわちマックス・オフュルス Max Ophüls の映画の「原作本」であった。
この映画はいつか観たいと思っていてまだ果たせていないのであるけれど、 
つまりはまあいい時代であったかもしれぬ。
さて本題。

あたいたちは みなれたお池と別れてやつてきたの! クワン! クワン! クワン! クワン! クワン! 小さな焙串とお近附きになるために――クワン! クワン! クワン!
(34頁)

ふむ、クワン派もう一名。しかし数がいい加減。
それにしても悉く雌なのはいかなる理由によるものか。
で、最後。

 ――毎日、御馳走してあげるわけにはゆきませんよ」
(62頁)

ふむ。これも意訳であるか。
そもそもなんで意訳するかが私にはよく分からなくて、
これではまるで落ちの効果がないではないか、と思うのだけれど、
もうくどくは言うまい。
せっかくなので、もっと他の個所も見ましょうか。
「メゾン・テリエ」の第二部最後には、ベランジェ (1780-1857) の歌が出てくる。

Ma grand'mère, un soir à sa fête,
De vin pur ayant bu deux doits,
Nous disant, en branlant la tête :
Que d'amoureux j'eus autrefois !


Combien je regrette
Mon bras si dodu,
Ma jambe bien faite,
Et le temps perdu !
(Maupassant, La Maison Tellier, Gallimard, coll. "Folio", 1995, p. 56.)

こういう俗謡も訳者の腕が問われるところであろう。
では、お手並み拝見。

  うちのばあちゃん、お誕生の晩に
  お酒ちょっぴり頂いて
  かぶり振り振り言うことにゃ
  昔ゃこれでももてたもの!
  腕はむっちりかた肥り
  脚は見事な伸びぐあい
  なんと思ってもしょんがいな
  みんな返らぬ夢だもの!
(『脂肪の塊・テリエ館』、青柳瑞穂訳、新潮文庫、1951年(1994年61刷)、105-106頁)

「しょんがいな」がいいですね。

  今晩、ばあさんお誕生日で
  お酒(おみき)をちょっぴり頂いて
  頭ふりふり申すよう
  さても懐し昔はこれで
  引く手あまたの色ざかり。
  言うも詮ないことながら
  腕はむっちり肥り膩(じし)
  脚はしなやかすんなり伸びて
  それも返らぬ夢かいな。
(『メゾン テリエ 他三篇』、河盛好蔵訳、岩波文庫、1940年(2000年22刷)、45-46頁)

なぜか原文より一行多い。「言うも詮無いことながら」は要らなかったかも。

  お祖母ちゃん、誕生祝い
  今夜、一杯ひっかけて
  頭振り振り言うことにゃ
  これでも昔は、鶯鳴かせたこともある
  さてもなつかし、わが姿
  腕はむっちり
  脚はすんなり
  みんな返らぬ夢かいな
(『メーゾン・テリエ 他三篇』、木村庄三郎訳、角川文庫、1955年、39頁)

これには転調が見られますね。

  祭りのある晩、祖母さんが、
  お酒をちょいとひつかけて、
  頭をふりふり言うことにや、
  これでも昔はもてたもの。
  むつちり太つたあの腕と、
  すんなり長いあの脚が、
  何といつても未練の種、
  返らぬ昔の夢だわい!
(「メゾン・テリエ」、『快樂』所収、長塚隆二譯、三笠文庫、1952年、53-54頁)

というわけで、皆さんさすがに七五調は手慣れたものと見受けられます。
なんにせよ、とにかく腕は「むっちり」一点張りである。
そしてみんな「返らぬ夢」なのであるが、原文は「失われた時」なんだけども、
これはやはり調子を優先させると自然と出てくるフレーズということなんでしょうか。
8音節から5音節への転調も生かすのはむつかしいのかもしれない。
こういうのはやはり、直訳よりも調子があるほうがよいとは思うのであるが、
しかしもう少し原文を尊重することはできまいか、
という気もしなくもないので、ちょっとやってみます。

おばあちゃん、お誕生日の夜のこと
生ワインを、ちびりちびりと舐めながら
言ってたものよ、頭はゆらり、ゆーらりと
昔は恋人、たくさんいたっていうものさ!


なんて惜しいんだろう
やわらかかった手
すらりとした足
去って行った時!
(えとるた)

うーむ。やはり伝統の重みには抗い難いものがありますか。