えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

太宰施門『バルザック以後』

ようやく、お教えいただいた
太宰施門、『バルザック以後』、山口書店、昭和18年
を読む。
つねづね辰野隆は日本における仏文のご本尊なので敬うべしと申し上げておるのだが、
太宰施門は西方分派のご本尊みたいな方なので、関西在住者はあだおろそかにはできまへん。
てなことはどうでもよろしく、本書中「八、モォパッサン」p. 208-223.を拾い読む。
冒頭、フロベールの弟子だったことを述べたくだり。

 ノルマンディーの田舎者で、ゾラと違つて哲學も思想も主張も何も無い青年である。ただ見ること聞くことに興味を有ち、それを正しく受け細かく分析する。そしてその通りを間違へずに書く、これが彼の仕事である。(208-209頁)

これではなんだかおバカさんみたい。
思想というのは、たとえ理論として体系化されてなくてもそれなりにあるもんであろう。
短篇についてのご講評はこんな感じ。

何れもほんたうにあつた出來事のやうであり、然も面白く始まり、なだらかに進行し、さうして、實に鮮やかに結末が附いてゐる。中には話は極めて露骨なものがあるが、ゾラ流のあくどさは微塵も無く、適當な語句で横を巧みに通り抜けてゐる(「打明け」)。一篇殘さず何れも清々しい藝術品である。(212頁)

ゾラと比較しての一般的読後感はこんなところでありましょう。
さて、ひとまず褒めておいて、後から批判するのは常道であります。
文は以下のように続く。

 しかしこれらの物語でもほぼ解るやうに、モォパッサンの注意は知らず識らず狭い限られた境へ開け、専ぱらそれを喜ぶ彼の個性をあらはに示し出してゐる。「フィフィ嬢」や「脂肪の球」で彼の描いてゐる感情は主に、下劣なさもしい人の本能、利己心の色いろの現はれであつた。巴里風景に出て來る人物は何れも性生活に關心を有ち、異性への衝撃に強くそそのかされる。何方らも「マダム・ボヴァリー」以來、レアリスト文學が特に選ぶ主題である。
 モォパッサンの場合ではそれはフロォベール流に、何んな題材でも美しく、詩的に物語り藝術に仕上げるのが狙ひであつた。自然の全部が愛慾の世界に詩化された、「月明」のやうな傑作も彼の手で書かれてゐる。(212-213頁)

中には「落語めいたもの」もある一方、「精神病」の影響から「病的な人物」が作中に現れてもくる。

 だが現在の生活に嫌悪を感じ、その中に身を置くことが非常な苦しみになつて來たモォパッサンは、同時に死を怖れる堪へられない豫想に迫られて、そちらからの衝動にも自分を支へねばならなかつた。二つの感情、全く相容れない正反對のものが時どき彼を狂人のやうに振舞はせた。しかしいつもではない。間に頭が静まると、「ピエールとジャン」や「死の如く強き」などの澄み切つた長篇の作が出來上る。そしてまことに意外であるが、今まで彼に知られてゐなかつた新たな特性、人物心理の解剖がいくらかづつ試みられて行く。「死の如く強き」は愛の世界での老年の悲哀といふ、きはめて興味のある主題を研究し、いつも通り滋味深く全篇が遂行せられてゐる。(214-215頁)

次に『ピエールとジャン』であるが、こちらは手厳しい。

 話はあまり面白いものでなく、讀み續けて苦痛の感の伴ふ部分さへ少くない。發端の大事件、ロラン夫人の愛と罪とは普通のことであるが、かれは良人を愛してゐない、そして結婚してゐる。その状況の説明が與へられてゐないので、折角の夫人の心理が甚だ不明である。ロランの家庭での態度がそれを明かにするのも一方法であるのに、その方にも著者の注意が十分向けられてゐるとは言はれない。結局夫婦ともが我々に親しく紹介されて居らず、従つて雙方に同情をそゝぎ兼ねる憾みがある。また何方らも、まうとう尊敬するとか畏れるとかの感情が刺激される人物ではない。通常の何處でゞも見當る凡人である。(216頁)

語りの巧さに最後まで読ませるけれども、と続いてまとめ。

 畢竟、未完成の作であることは誰の眼にも著しいであらう。人物の多く、父も母も弟も妻も、何れもその心の生活が稀薄にしか示されてゐないので、活きた存在といふより動く人形に近い感を與へる。僅かにピエールの心理だけに變遷があり、發展の筋道がしるされてゐる。しかしそれが前述べたやうに、高度のものであるとは何うしても言はれない。バルザックの諸人物の有つ明確な強さが皆に具はり、もつと深い反省と動揺に主要人物が身をまかせて、はじめて人生を描いたほんたうの小説作品が生れる。ただこの時代のものとして「ピエールとジャン」の長篇は、自然主義文藝の境涯から一歩を心理小説へ踏み出さうとした、意義の深いモォパッサンの試みであつたと言はれよう。(217頁)

バルザック研究者ならではのご意見ではあるが、
しかし「バルザックのようでない」からと批判されても、ちと困る。
次が、太宰施門のモーパッサン批判の核といえる箇所であるが、
印象批評の度合いが一番強い箇所でもある。

 以上がこの稀代の小説藝術家が書き上げた作物の片鱗である。一貫して内容を成す題材が低く淺く、強い關心、深刻な反省を讀者の心に喚び起す質のものではない。思想は具はらず感情は病的に曲げられた諸人物が描き出され、それ以外の、またそれ以上の性格が社會に存在することを、著者は少しも氣づかなかつたやうにも見えてゐる。若し彼が理解したかも知れなかつたやうなのが生の現實であり、そこに人が毎日を送りいとなむのであるとしたら何うであらう。陰鬱なペシミスムが心に浸み入つて不揄快に、味氣無く世を過す思ひが誰びとのものともなるに決つてゐる。たしかに偏見をもつてモォパッサンは人生を社會を眺め、解釋し、自然人に近い本能の動きだけから小説の題材をもとめてゐる。(217-218頁)

モーパッサンが当の『ピエールとジャン』冒頭に置いた「小説論」で述べているとおり、
批評家とはえてして、自分の好みを作者に強要するものであり、
ここの太宰施門もその例に漏れない。
のだけれども、そのことに彼は気づいていただろうか。
別に私は著者を批判する気は毛頭ない。
バルザック的見地からすれば、モーパッサンはこのように見えるだろうな、
ということはよく納得できるが、つまりは好き嫌いの問題だわね、ということである。
もっとも、ここから著者は、しかしモーパッサンは芸術家であったとし、
その大きな特色を、彼が「クラシク」の美学に忠実であった点に見る。
戦前のフランス、ブリュヌチエールと彼の弟子筋による講壇批評が、
太宰施門の依って立つところであったわけだけれども、
モーパッサンに「古典主義」を見る視線は、まさしく当時の保守的批評家のそれでもあった。
最後に、長篇には欠点があり、短篇では物足りないけれど、
モーパッサンは幾つかの優れた中篇を残した、として
特に「パーラン氏」に頁を割いて、この章は終わっている。

 完成した藝術をなほこの篇の中に讃美するのを人は忘れてはならない。各部の均齊が全たい調和に保たれ、申し分の無い構圖をその集りが示してゐる。敍事は強く活きて勢ひに滿ち、境遇はきはめて劇的である。然もクラシクの諸特徴を具へた文體で、變化のある各々の情景が遂行されてゐる。ただ心理の稀少となまの苛酷なレアリズムとが、著者の時代から受けた不幸な影響として惜しまれる。(223頁)

そうねえ。一般的な解説として、今から見たら可もなく不可もなくと申しましょうか。
しかし昭和18年にこの本が2,200部(一冊1円70銭)刷って世に出ていたのが凄いし、
当時、モーパッサンの文学についてこれだけきちんと語ったものは、
そうはなかったろうと思われる。
よ、さすがご本尊。
てなところで適当にお茶を濁しまして、本日はここまでに。