バルビュスは駄目でも、ルナールならいいんかい。
没後百周年だった昨年、結局ルナールの名を聞くことが
あまりなかったように思うのだけれど、どうなのだろう。
日本でこそ、何かあってもよかったかもしれない、という気もする。
では宿題。すでに疲労ぎみ。
J'aime Guy de Maupassant parce qu'il me semble écrire pour moi, non pour lui. Rarement il se confesse. Il ne dit jamais : « La vérité sort du puits. Voici mon cœur ».
Ses livres amusent ou ennuient. On les ferme sans se demander avec angoisse : « Est-ce du grand, du moyen, du petit art ? » Les esthètes orageux, prompts à s'exciter, dédaignent son nom qui « ne rend rien ».
Guy de Maupassant, une fois lu tout entier, il se peut qu'on ne le relise pas. Mais ceux qui veulent être relus ne seront point lus. – Jules Renard.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
私がギ・ド・モーパッサンを愛するのは、彼のためではなく、私のために書いてくれているように思えるからだ。彼は稀にしか告白をしない。彼は決して言わない。「真実は奥底より出でる。これが我が心である」とは。
彼の書物は楽しませ、あるいは憂鬱にさせる。書物を閉じた後に自問して苦しむことはない。「これは偉大な、普通の、あるいは小芸術なのか?」嵐のような耽美主義者はすぐに激昂して、「何も意味しない」彼の名前を軽蔑する。
ギ・ド・モーパッサン、一度全部読み終えると、もう二度と読まないということも起こりうる。だが、再読されたいと願う者はえてして一度も読まれないものだろう。――ジュール・ルナール
これを見ると、ルナールはモーパッサンの時評文やとりわけ旅行記を読んでいなかったのかな、と疑問ではあるが、
小説家としてのモーパッサンは、確かに作家の自己表明を厳しくいましめた。
それにしても後半は皮肉の利いたルナール節である。
Jules Renard (1864-1910)
『メルキュール・ド・フランス』創刊に参加。象徴派詩人と親交を結ぶ。小説『ねなしかずら』L'Écolnifleur (1892)で成功を収め、『にんじん』Poil de carotte (1894) 『葡萄畑の葡萄作り』Le Vigneron dans sa vigne (1894) 『博物誌』Histoires naturelles (1896) 等を執筆。劇作家としては『別れも愉し』Le Plaisir de rompre (1897) 『日々のパン』Le Pain de ménage (1898)などがある。死後刊行の『日記』Journal (執筆:1887-1910:出版:1925)も有名。
ところでしかし、手元にルナールがなんにも見当たらないのはどういうこった。
代わりにというわけでもないけど、さりげなく別の引用を。
主に芥川龍之介、岸田國士がいかにルナールに学んだかを明らかにした論考の末尾より。
芥川や岸田國士、太宰、高見の例に見えるように、『葡萄畑の葡萄作り』に代表されるルナール文学の真の意義は、むしろ『エロワ控え帳』などに横溢する率直な、ある意味では生々しく表白された彼の文学者魂が、危機を敏感に意識した日本の作家たちにどれほど強い刺激を与えたか、どれほど自己表現の手段を与えたかということにある。(中略)さらにルナールの文学精神が日本の文学精神と緊密につらなるのは、一般に言われる俳諧的世界ではなく、人間の営みを、冷厳でしかも奥底にほのかな暖かみをたたえたルナールの多くの文章を味読するところから、初めて理解されるように思われる。
(柏木隆雄、『交差するまなざし―日本近代文学とフランス―』、朝日出版社、2008年、第4章「ジュール・ルナール、文士の生き方」、326-327頁)
ふむ。味読したくなりますね。ええ、なりますとも。
にしても我が家のルナールはいずこ。