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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ジャリとミュルフェルド

Alfred Jarry

エコパリのモーパッサンのアンケートに
ジャリの名前は残念ながら無いのだけれど、
いささか故あって描く。
ジャリだからいいか、ジャリだし、という適当な配色。
不知火どの曰く「昇天しそう」な感じとか。
お元気でいらっしゃることを祈っております。


宿題。

 Ce ut, c'est – car, dis-je d'un vivant ? et n'est-on pas gêné par cette étrange position de parler d'un contemporain qui n'entend plus ? – c'est un talent d'assimilation distingué, de Flaubert au départ, par Médan, jusque, eh, Bourget (Notre cœur), notable par une exploitation spécialement heureuse d'un réalisme d'ailleurs appris : 1e Regard fouilleur sinon clairvoyant, apercevant net quoique sans pénétration cérébrale, à moins que des altérations de physionomies ne lui indiquent des drames psychologiques qu'il n'eût pas découverts directement (Pierre et Jean, son chef-d'œuvre) ; 2e Formulation curieuse en un des styles les plus faits de ce temps, sans couleur, sans relief, mais d'une clarté nerveuse, passionnée, jouant la santé. – Lucien Muhlfeld.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 この基準音は、――というのも私は生きている者について話すのか? それに、もはや聞くことのない同時代人について話すというこの奇妙な立ち位置には困惑させられるのではないか?――それは際立った同化作用の才能であって、始めはフロベール、メダンを経由して最後は、ああ、ブールジェ(『我らの心』)に同化したのであるが、もっとも、獲得されたレアリスムの特別に運の良い活用においては注目すべきである。第一に、慧眼ではないにせよ隈なく見逃さない視線。頭脳への浸入はないにしても明晰に認識するが、容貌の変質が、彼が直接に発見することはない心理的ドラマを示唆しない限りにおいて(『ピエールとジャン』彼の傑作)。第二に、この時代において最も「出来上がった」文体の一つにおける興味深い表明の仕方。その文体には色合いも奥行きも無いが、神経質で情念的、健康を真似た明晰さを備えている。――リュシアン・ミュルフェルド

最初の ut からして実はよく分からないので困る。
Lucien Muhlfeld (1870-1902)
パリ大学で文学を専攻。『レコー・ド・パリ』や『ルヴュ・ブランシュ』で劇評を担当した。小説『悪しき欲望』Le Mauvais Désir (1890), 『アンドレ・トゥレットの経歴』La Carrière d’André Tourette (1900), 『女協力者』 L'Associée (1902)を執筆。批評に『ある芸術の終わり』La Fin d'un art (1890) 『印刷の世界』 Le monde où l'on imprime (1897)がある。
ウィキペディアの英語版参照。邦題に自信なし。
彼も夭折であるところがいささか悲しい。
褒めているようなけなしているような、ややこしい評言である。