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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

マンデスとトリスタン・ベルナール

モーパッサン フランス文学

Catulle Mendès

カチュール・マンデス(1841-1909)ってどんな顔なのかなあ、
とか思ってしまったのが運の尽き。
描いちまったんだな、これがまた。
うーむ、さすがはパトロン
にしてもヒゲと髪に相当てこずる。
頼むから剃ってくれ、刈ってくれ、と言いたい。


せっかくなのでマンデスの詩でも訳してみますか。

小夜鳴き鳥
Catulle Mendès, « Le Rossignol », in Philoméla, J. Hetzel, 1863.


それは葡萄の実の熟する月の夜のことだった
私が惜しんで涙を流す女はまだそこにいた。
押し黙り、彼女は枝の下でお前の歌を聴いていた
夜に哀歌を歌う鳥、フィロメーラよ!


注意深く、目をうっとりとさせ、唇を開く
人形劇の芝居小屋での子供のように
彼女は緑の葉むらの下で歌を聴き
私はといえば小夜鳴き鳥に嫉妬していた。


「花咲く麗しの魂、我が夢の身を寄せるリラの花よ
私は言った 私を傷つけるそんな鳥など放っておいて
ああ! 意地悪な心よ、愛は長く、夜は短いのだから!」
けれど彼女は夜の中、一つの声しか聴いてはいなかった。


その時、私は自分が変身していくのだと思った!
そしてその震えに私は死ぬ思いだった。
新しい存在の内に我が生命は囲われた
だが我が魂は残り、苦しむのであった。


別の男が、私を愛する唯一の女の側にいて
二人が甘い囁きを交わしながら陰に消えて行く一方、
おお絶望よ、私は小夜鳴き鳥そのものになって
香り立つ森の中で愛にむせび泣くのであった。


そして彼女はゆっくりと遠ざかり、白い影
なかばまどろみ、我がライヴァルの腕の中。
私が一人悲しく枝の上にいるのを見るや
空の星々が憐れみに心を震わせた。


それでおしまい。ただ、曙が近づくや
(私は何も忘れない それは金曜のことだった)
子供らがやって来て樫の根本に見つけたのは
既に乾き、固くなった鳥の死骸。


「死んでいる!」子供らは言い、敏捷な指先で
一人の子が葦の陰に私の墓穴を掘った
粘土の下に我が翼を埋め終えると
小さな鳥のために、その子は善き神に祈ったのである。

注釈が一つ。
Philoméla (Philomèle) :ギリシア神話のフィロメラ。オウィディウス『変身物語』等より。アテナイの王女でプロクネの妹。姉の夫テレウスに犯され、口封じのために舌を切られた。のち姉とともに復讐を企て殺されかけるが、神々によって鳥(燕またはナイチンゲール)に姿を変えられ救われる。西欧ではウグイス(ナイチンゲール)の代名詞。
まだ二十歳そこそこの頃の作品であり、ロマン主義の影響が色濃い、ミュッセ調といったところではあるが、
それはそれとして、まあ上手く出来た詩ではある。
それ以上ではないかもしれないけれど、それ以上でなくてもまあよいではないか。


では宿題。

 Quelle déception au relu de ces contes de Maupassant, qui jadis tant nous plurent ! Nous admirâmes combien sa psychologie était claire et aisée, et nous l'apercevons maintenant si rudimentaire ! C'est, semble-t-il à cette heure, parce que sa vue était limitée, qu'il se montra si précis dans les détails d'observation. Son habitude de découvrir aux événements une paradoxale petite cause nous le fit paraître clairevoyant. Puis, comme son ironie nous déplaît aujourd'hui, pour ne pas venir d'assez haut !
 Quand parurent ses romans « mondains », tels de sa génération, qui l'avaient glorifié, se détournaient de lui. C'est à ce moment qu'il sortit des limites où on l'avait défini, qu'il pénétra bien plus avant la signification des choses, et que ce bon écrivain commença à écrire ses meilleures pages. – Tristan Bernard.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 かつてはあれほど気に入っていたモーパッサンのあれらの短編を読み返すとなんと失望させられることか! 我々はどれほどに彼の心理描写が明晰で自然なことかと讃嘆したものだが、今ではあまりにも初歩的なものであったのに気づくのだ! それは、彼の視野は限定され、観察の細部においてあまりにも正確であったからだと、今では思われるのである。出来事の中にパラドクサルな小さな原因を発見するやり口は、彼を慧眼だと思わせたものだった。それが今日、彼の皮肉はどれほど不愉快なものであろう。十分に高いところから眺められていないが故に!
 彼の「社交界向け」の長編小説が現れた時、彼に栄光を授けた彼の世代の幾人かは、彼に背を向けた。だがその時にこそ、自らが閉じ込められていた限界から出て、はるかによく事物の意味を掴み取り、この善良なる作家は最良の頁を書き始めたのであった。――トリスタン・ベルナール

Paul Bernard, dit Tristan Bernard (1866-1947)
パリ出身。大学で法律を学ぶ。1891年より『ルヴュ・ブランシュ』に寄稿を始め、トリスタンの筆名を用いる。1894年、最初の長編『もう分かったよ!』Vous m'en direz tant !を出版(ピエール・ヴェベールとの共著)。小説の他に戯曲も執筆。言葉遊びに秀でていた。占領時に強制収容所に収容されるが、サッシャ・ギトリーらの支援で解放された。戯曲に『人の言うところのイギリス人』 L'Anglais tel qu’on le parle (1899) 『三重脚』Triplepatte (1905)『小カフェ』 Le Petit Café (1911)等多数。
またおざなりになってしまうけど、
前半を批判し、後期モーパッサンをある程度評価するパターンの典型といってよかろう。