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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ロマン・クーリュスとアンドレ=フェルディナン・ヘロルド

新学期を迎える、が、とりあえず変わらぬ日。
だんだんおざなりになって、既に飽きてきているのがばればれではあるが、
本日の宿題。

 Guy de Maupassant tient dans mes actuelles lectures une place si modique ! Serais-je même coupable d'avouer que je ne le lis plus ?
 La raison de cet abandon ? (car jadis les Sœurs Rondoli et la Maison Tellier me divertirent).
 J'estime, aujourd’hui, que Maupassant s'est trop souvent complu uniquement à faire vrai sans autre souci esthétique, c'est-à-dire à reproduire des anecdotes, à décalquer du réel, à copier du vécu. Rarement il trouve moyen de nous intéresser à la vie comme Huysmans par exemple, en nous en présentant une vision personnelle, c'est-à-dire transposée et transformée.
 D'ailleurs, consultez les Lemaître, les anthologues, les bons esprits en un mot ; ils ont baptisé Maupassant un classique de par sa simplicité. Soit ! moi, je la lui reproche. Il manque à mon sens de complexité, de dessous, de facultés évocatrices. Il manque enfin d'ironie, tout au moins d'ironie qui porte ! Elle seule peut sauver, en art, ceux qui préfèrent à la composition libre d'idéalités significatives (symboles) l'exposition serve de réalités insignifiantes (presque tout le naturalisme !) – Romain Coolus.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 ギ・ド・モーパッサンは目下の私の読書においては実にわずかな場しか占めていない! もはや読みはしないと告白する罪さえ犯すだろうか?
 この放棄の理由?(それというのもかつては『ロンドリ姉妹』や『メゾン・テリエ』は私を楽しませた)
 今日、私の評価では、モーパッサンはあまりにも頻繁にただ「本当を描く」ことに喜びを見出し、他の美学的関心を持たなかった。すなわち、小話を再現し、現実を書き写し、体験を模倣することにである。彼はめったに、例えばユイスマンスのように、人生についての「個人的な」、つまりは移し替えられ、変形されたヴィジョンを提示することで、人生に対して我々に興味を抱かせる術を見出すということがない。
 そもそも、ルメートル達、アンソロジー編者、一言でいえば「お人よし」に尋ねるがよろしい。彼らは「単純さ」故にモーパッサンを古典作家と名付けた。いかにも! 私は、そのことで彼を非難する。私にとっては、彼には複雑さ、内奥のもの、喚起する能力が欠けている。つまりは彼にはアイロニーがない、少なくとも効果のあるアイロニーは! それだけが芸術において、「意味を持つ」理想性(象徴)の自由な構築よりも「意味のない」現実の奴隷的な陳列(自然主義のほとんどすべて!)を好む者を救いうるのである。――ロマン・クーリュス

これは実に典型的な象徴主義の主張である。マラルメの忠実な弟子という感じがする。
ルメートルはもちろんジュール・ルメートルで、彼のモーパッサン評は拙訳あります)
René Max Weill, dit Romain Coolus (1868-1952)
レンヌ出身。エコール・ノルマルを卒業し教師を勤めるが、25歳で職を辞し文学に身を投じる。『ルヴュ・ブランシュ』に寄稿した。小説・戯曲の他、映画のシナリオを多数執筆している。戯曲に『愛しい女の子』L'Enfant chérie (1906) 『永遠の男性』L'Eternel masculin (1920)等。
小説は「個人的世界観」une vision personnelle du mondeの表明だと言ったモーパッサンの言葉を
意識しての言葉なのか、どうなのか、ちょっとよく分からないけれど、
だとすれば随分な話ではある。

 Guy de Maupassant a, me semble-t-il, conté fort bien, et dans une très bonne langue, des faits divers d'un médiocre intérêt. – A. -F. Herold.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 ギ・ド・モーパッサンは、私の見るところ、大変に上手く、大変に良い言語で、たいして関心を引かない三面記事的事象を語った。――A. –F. ヘロルド

André-Ferdinand Hérold (1865-1940)
パリ出身。マラルメの火曜会に出席、象徴主義グループと交流し、特にピエール・ルイスと親しい。1890年に詩集『挽歌と哀悼歌』Les Paeans et les Thrènes出版。詩集『田園幕間劇』Intermède pastoral (1896)『優しく驚くべきイメージ』 Images tendres et merveilleuses (1897)の他に、リュネ・ポーの制作座では翻訳劇を上演した。多くの詩作の他に小説も執筆。『聖アフロディテ修道院』L'Abbaye de Sainte-Aphrodite (1904)『危険な恋人達』Les Amants hasardeux (1938)等。
モーパッサンの語ったことには価値がない、あるいは思想がない、
というのも、批判の一つの型であることがよく分かる。
残念なことに(と言うべきか)この種の言辞は以後20世紀前半に広く行き渡ることになる。
しかしまあ若者よ意気盛んで結構なことではないか、という気もしなくはない。
モーパッサンが「仮想敵」として十分な役割を果たしているということは、
それだけ彼の存在が大きなものであった、ということの裏返しであろう。
少なくともそのことは認めてよいと思うのであるが、いかがなものであろうか。