えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ルイ・デュミュール

シャルルさんお返事ありがとうございました。
お陰様で束の間いい夢が見れました。
おっしゃるとおり、モーパッサンのたくさんの短編はその多様性にこそ驚かされます。
ので一冊でその多様な面を窺えるように、なるべく色んなタイプの作品を取り上げたい、
というのが私の考えたことでした。
もっとも、アンソロジーには必ず編者その人が映し出されるものでしょうから、
もっとはっきり偏向を打ち出すというのも、それはそれで魅力的ですし、
テーマで絞るというのも十分考えられます。
今回は既訳文庫をあまり意識せずに選びましたが、
思い切って手近な文庫・単行本の収録していない作品だけから選ぶ、
というのも大胆で面白いのではないか、とか。
また色々考えてみたいと思います。


ちなみにフランスでは今でもモーパッサン自身(あるいは後の全集編集者)が編んだ作品集の形を
踏襲するというのが一般的であり、モーパッサンの受容の形として
そこが外国とは大きく違うといえる。
こればっかりはどうにもしょうがないけれども、
作者自身が編んだ作品集には、当然彼の意図というものが存在する(はず)で、
作品の選択と並べられる順序に思いを凝らすのも楽しい、ということがないではない。
(近年、それについて大部の研究書が書かれている。)


ではおとなしく宿題。

 C'est l'opportuniste du réalisme. Il ne m'inspire ni haine, ni admiration. C'est un neutre. N'ayant jamais eu de grandes visions, comme Zola, n'ayant point été créateur d'un certain genre de beauté, comme Flaubert, n'ayant pas remué une société, comme Balzac, il ne saurait m'intéresser. Je l'ai lu, mais par désœuvrement, au lit, en attendant le sommeil, au bouillon Duval, en attendant les plats. – Louis Dumur.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 それはレアリスムの日和見主義者である。彼は私に憎しみも賞讃の念も掻き立てない。それは何物でもない。ゾラのように偉大なヴィジョンを決して持ったことがなく、フロベールのように美のある形式の創造者であったこともなく、バルザックのように一個の社会を動かしたこともない彼は、私に興味をもたらさないだろう。私は彼の作品を読んだが、ベッドの中で眠気が来るまで暇だったからか、デュヴァルの安レストランで料理を待っている間のことだった。――ルイ・デュミュール

注釈が一つ。
ブイヨン・デュヴァル:肉屋デュヴァル(Pierre-Luois Duval, 1811-1870)が労働者のために開いたレストラン。
これは明快な全否定型である。
バルザックフロベール、ゾラと比べて小物だと言われるとどうにも困るが、
そこまで言わんでもええやないか、と言いたくもならんではない。
Louis Dumur (1860-1933)
シュネーヴ出身。『メルキュール・ド・フランス』創設者の一人。世紀末デカダンス趣味を特徴にし、詩集に『ネヴァ』La Néva (1890), 『倦怠』Lassitudes (1891) 小説に『アルベール』Albert (1890) 『星雲』La Nébuleuse (1895)等を執筆。第一次大戦後は報復を訴える小説を著した。『ヴェルダンの肉屋』Le Boucher de Verdun (1921)『敗北主義者達』Les Défaitistes (1923)
やれやれ。
レオン・ドーデとかもモーパッサンを馬鹿にした口であるが、
モーパッサンは(フランスの)右寄りの人には嫌われる、というのを一般的法則としていいのだろうか。
(しかしまあデュミュールはスイス出身であるけども。)
ゾラは確かにそうであったので、そのつながりでというのも考えられるが、
しかしモーパッサンその人が政治的に見て右か左かというのは、
これはなかなか難しい問題である。
一つには政治を丸ごと馬鹿にする、というのが彼の望んだ立ち位置だったということがある。
しかし本人がどれだけ自由でいようと望もうとも、
ドイツ嫌いのフランス好き、というような面は彼の作品にも透けて見える。
モーパッサンは農民や都会の小市民を時に共感を込めて描いたが、
しかし多くの場合は諷刺の対象であったことを忘れることはできないし、
彼は決して彼らの「ために」、彼らを読者と想定して書いたわけではない。
ジュール・ヴァレスと彼が別れるのはそこでもある。
(なんか既視感がないでもないので、前にも書いたことあるかもしれぬ。)
ま、いいか。ここで問題になっているのは、結局のところ、外から見たイメージであるから、
傍から見て左寄りに見えたということは十分に考えられようし、そもそも、
若者達の「その後」から、この時点での彼らを判断するのはアナクロであることも
重々注意してしかるべきであろう。
(政治の時代になって「転向」した者も少なくはないのである。)
それにしても、色々な人がいたものだなあ。