えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

マルセル・バイヨとアドルフ・レッテ、とマラルメ

ようやく最後まで来る。

 La paralysie générale vient de foudroyer une des plus belles intelligences de ces temps-ci. Guy de Maupassant, héritier direct de Gustave Flaubert, ne fit que passer parmi les disciples de Médan, et de suite, il chercha une voie nouvelle pour se créer à force de patience, à force de travail, une originalité.
 Partisan convaincu du roman objectif, il s'appliqua à nous donner la représentation exacte et non la photographie banale de ce qui a lieu dans la vie, évitant avec soin toute explication compliquée, toute dissertation sur les motifs, et se bornant à faire défiler sous nos yeux, les personnages et les événements.
 Mais il vaut surtout par le style impeccable, par l'écriture artiste, et tel de ses contes, telle de ses nouvelles, resteront comme des purs chefs d'œuvre de la langue française. – Marcel Bailliot.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 進行性麻痺が、この時代の最も優れた知性の持ち主の一人を直撃したばかりである。ギ・ド・モーパッサンは、ギュスターヴ・フロベールの直接的な継承者であり、メダンの弟子達の間で名が通ったに過ぎなかったが、次いで新しい道を探し、忍耐と労働によって、一個の独創性を生みだした。
 客観的小説の断固たる信奉者として、人生に起こる事柄の凡庸な写真ではなく、その正確な再現を我々に提示しようと試み、複雑な説明、動機についての論述を注意して一切避け、我々の眼前に人物と出来事を現れさせるだけに留めた。
 だが彼はとりわけ、完全無欠の文体、芸術的筆致によって価値があり、彼の中短編小説のあれらのものは、フランス語による純粋な傑作として後世に残ることだろう。――マルセル・バイ

Marcel Bailliot についてはどうもよく分からない。
これはしかし評価が高い。

 Pour un écrivain qui se glorifie d’appartenir à un groupe dont une des tendances essentielles fut – et est encore – de combattre la doctrine naturaliste, il est assez difficle de donner une appréciation impartiale du talent de M. Guy de Maupassant. Toutefois, on peut déclarer volontiers, mais sans enthousiasme, que le genre étant admis, M. de Maupassant l'a porté à sa perfection dans Boule de suif, qu'il a, dans Une vie, décrit, d'une façon remarquable, un caractère de femme, qu'il existe de lui tels chapitres, nocturnes et frissonnants, où passe le mystère de la mer et que, malgré un faire ingrat, – la phrase de Flaubert densifiée, – il a su quelquefois évoquer la Beauté. – Adolphe Retté.
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 その本質的傾向の一つが自然主義の教義を打ち倒すことにあった――そして今もある――グループに属することを栄誉に思う作家にとって、ギ・ド・モーパッサンの才能について「公正な」評価を下すことは十分に困難なことである。しかしながら、熱狂することはないけれども進んで次のように言うことはできる。ジャンルを認める限りで、モーパッサン氏はそのジャンルを『脂肪の塊』によって完成に導いたし、『女の一生』においては、見事な方法で女性の性格を描き、夜の、震えをもたらすああした幾つかの章が彼のものとして存在し、そこでは海の神秘が過っており、そして恩知らずの行動――フロベールの凝縮した文章――にもかかわらず、彼はしばしば美を想起させることができた。――アドルフ・レッテ

Adolphe Retté (1863-1930)
パリに生まれるがリエージュ近郊で育ち、軍隊経験を経てパリに居を定める。象徴主義を実践する作品『夜の鐘』Cloches en la nuit (1889)『霧のトゥーレ』Thulé des Brumes (1891)を出版し成功を収めるが、1893年には『プリューム』誌上などでマラルメを批判したことで知られる。1906年にカトリックに改宗し、過去の著作を否定するに至った。『象徴主義、逸話と回想』 Le Symbolisme, anecdotes et souvenirs (1903) 『悪魔から神へ ある回心の物語』 Du Diable à Dieu, histoire d’une conversion (1907)


かくして、一応どうにか終える。
褒めるというのが「そこにあるもの」を捉えることで、
批判というのが「そこにないもの」を挙げることであれば、
両者は一枚のメダルの表裏であると言えようか。
そこには、文学は何を目指すべきなのかという問いに対するそれぞれの答えがある。
その意味で、モーパッサンの文学が何であって何でないのかを考える一助に、
このアンケートは確かになるのではないかと思われる。
ところで、ここはやはり大親分にもご登場いただいておこう。

 Je l'admire, à cause de dons ! Je ne peux oublier, en les loisirs instinctivement que mon choix se portait sur une œuvre de Maupassant, pour aérer le regard et lire limpidement pour lire. Le charme, au lettré, qu'ici l'afflux de la Vie ne relègue le style ; un mélange savoureux plutôt et, par l'intermédiaire des mots, avec leur valeur, elle paraît. L'écrivain, conteur quotidien, est de race – Stéphane Mallarmé
(L'Écho de Paris, supplément illustré, 8 mars 1893.)
 天賦の才能が故に、私は彼を賞讃する! 私には忘れることができないが、余暇の間に本能的に私の選択は一冊のモーパッサンの作品へと向かい、それは眼差しに風を入れ、ただ読むための清澄な読書をするためだった。文学者にとっての魅力は、そこでは「生命」の奔流が文体を流し去っていないことであり、それはむしろ味わい深い混淆であって、言葉の介在を通して、その言葉の価値とともに、生命は現れてくる。この作家、日常の語り手は、純血である。――ステファヌ・マラルメ

さすがはマラルメ、その韜晦たるや鵺のごとしか。
Stéphane Mallarmé (1842-1898)
パリ出身。1860年代、トゥルノン、アヴィニョンで英語教師を勤めながら詩を執筆。高踏派の詩人らと交流する。普仏戦争後パリに出た後も、定年まで高校に勤務を続けた。1884年ヴェルレーヌユイスマンスによる紹介で広く知られるようになり、青年詩人達の指導者的立場に立つ。『半獣神の午後』 L'Après-Midi d'un faune (1867)『パージュ』Pages (1891)『詩と散文』Vers et prose (1893)『ディヴァガシオン』Divagations (1897)『賽の一振り』Un coup de dés jamais n'abolira le hasard (初出:1897 ; 1914) エドガー・アラン・ポー詩篇の翻訳(1888)がある。
こんな紹介でよかったか。
推察するにここでマラルメが言っていることは、
1 モーパッサンは簡明だから頭を使わずに読める。
2 要するに「モーパッサンは人生を力づよく描いた」でもそう言ってしまうと、
「描く」ことに価値があることになってしまうので、なにやら回りくどい表現になっている。
ということではないのか。違うのだろうか。


若手編だけですでにへろへろになってしまったので、
次に大御所編に行ける自信はまるでなし。
「褒める」「けなす」で思い出した一節を引用して、とりえあえずおしまいとしておこう。

そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。
小林秀雄、「批評」、『考えるヒント』所収、文春文庫、2009年新装版9刷、200-201頁)