えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

ジャンヌの父

週末、東京に。色々あった。


先日、『女の一生』のジャンヌはルソー的な「野性人」だと記してみたが、
それってつまりは『人間不平等起源論』ということなのか。
ところで、もちろん、ジャン=ジャックの名前は『女の一生』の冒頭に書き込まれているのである。
ジャンヌの父についての記述を読み直そう。

 Le baron Simon-Jacques Le Perthuis des Vauds était un gentilhomme de l'autre siècle, maniaque et bon. Disciple enthousiaste de J.-J. Rousseau, il avait des tendresses d'amant pour la nature, les champs, les bois, les bêtes.
 Aristocrate de naissance, il haïssait par instinct quatre-vingt-treize ; mais, philosophe par tempérament et libéral par éducation, il exécrait la tyrannie d'une haine inoffensive et déclamatoire.
 Sa grande force et sa grande faiblesse, c'était la bonté, une bonté qui n'avait pas assez de bras pour caresser, pour donner, pour étreindre, une bonté de créateur, éparse, sans résistance, comme l'engourdissement d'un nerf de la volonté, une lacune dans l'énergie, presque un vice.
 Homme de théorie, il méditait tout un plan d'éducation pour sa fille, voulant la faire heureuse, bonne, droite et tendre.
 Elle était demeurée jusqu'à douze ans dans la maison, puis, malgré les pleurs de la mère, elle fut mise au Sacré-Coeur.
 Il l'avait tenue là sévèrement enfermée, cloîtrée, ignorée, et ignorante des choses humaines. Il voulait qu'on la lui rendît chaste à dix-sept ans pour la tremper lui-même dans une sorte de bain de poésie raisonnable ; et, par les champs, au milieu de la terre fécondée, ouvrir son âme, dégourdir son ignorance à l'aspect de l'amour naïf, des tendresses simples des animaux, des lois sereines de la vie.
(Maupassant, Une vie, Folio classique, 1974, p. 28.)
 シモン=ジャック・ル・ペルテュイ・デ・ヴォー男爵は前世紀の、偏執的で善良な貴族である。ジャン=ジャック・ルソーの熱烈な信奉者であり、自然、田園、森、動物に対して恋人のような愛情を抱いていた。
 生まれながらの上流人として、彼は本能的に93年を憎んでいたが、気質的に哲学者、教育によって自由主義だったので、専制政治は激しく嫌っていた。もっともその憎しみは無害で言葉ばかりのものであった。
 彼の大いなる力でもあり弱さであるもの、それは善良さであり、愛撫し、与え、抱きしめるのに十分な腕を持たないような善良さ、創造者の持つ、散漫で、抵抗力のない善良さであった。それは意志の活力の麻痺、エネルギーの欠如のようなもであって、ほとんど一個の悪徳であった。
 理論の人であるので、彼は娘のための教育プラン全体を熟考し、彼女を幸福、善良、誠実で優しい娘にしたいと望んだのだった。
 彼女は12歳まで家に留まり、その後、母親の涙にもかまわず、サクレ=クール修道院に入れられた。
 彼は彼女をそこに厳しく閉じ込め、隔離し、人に知られることなく、人間の事柄に関して無知のままに留めたのだった。彼が望んだのは、17歳になったら無垢のままに彼女を取り戻し、彼自身の手で娘を一種の理性的な詩情の内に浸してやることだった。そして、田園の肥沃な大地の只中において、彼女の魂を開き、純朴な愛や動物の単純な愛情、生命の清廉な法則を前にすることで彼女の無知を世に慣れさせるのである。

さて、ある意味で言えば、ジャンヌの不幸はこのお父さんの善良なる意志に基づくところの
教育の在り方に多大な原因を有していたと言えるわけであるが、
これはしかし、教育という名の教育の放棄にすごく近いようにも思われる。
お手本が動物とはあんまりな話ではありますまいか。
いずれにせよ、人間的事象から隔絶したところで育てられた少女が、
そのまま人間社会の中に入っていくとどんなことになるか。
女の一生』とは、実は女子教育の必要性を訴える書物のような一面を備えている
ように読めなくもない。
ここだけ読むと、諸悪の根源はいかにもジャン=ジャックにある。
しかし、それはどういうことか。
なるほど『エミール』の冒頭の言葉は次のものである。

 Tout est bien sortant des mains de l'Auteur des choses, tout dégénère entre les mains de l'homme.
(J. -J. Rousseau, Emile ou de l'éducation, GF Flammarion, 1966, p. 35.)
 事物の創造主の手から出た時にはすべては善いものであり、人間の手にあってはすべてが悪化する。
(ルソー、『エミール、あるいは教育について』、第一篇)

しかし、言うまでもなくルソーはこの『エミール』において教育の必要性を説いたのであり、
この書の第五篇が女子教育に割かれていることは、あまりに有名ではあるまいか。
だとすると選択肢は二つである。
1 モーパッサンは意図的に、ジャンヌの父をルソーの思想を「誤解」した人として提示している。
2 モーパッサンのルソー理解はいかにも表面的であり、ルソーは濡れ衣を着せられた。
うーむ。
いずれにしても、ジャンヌを「自然人」とし、
その彼女を家族という原初的な社会形態の内に放り込むという「実験」である限りにおいて
(『女の一生』はもちろんそれだけで片づけられない小説であるけれど)
モーパッサンの思弁は『人間不平等起源論』と『社会契約論』のルソーのそれと
確かに繋がっている、ように私には思われるのだ。
恐らくは作者の意に反して。
(だってモーパッサンはルソーに関しては悪口しか言わないから。)
それはつまり、それぞれの時代の「社会」に対する視線のあり方が、
この二人の作家において似通っていたということではないだろうか。
しかし、ルソーはたぶん、堕落した社会を改善することができると信じていた。
モーパッサンは、そういう可能性をほとんど信じられない人だった。
だから彼には、ルソーは甘っちょろい理想主義者にしか見えなかったのである。


それにしても、ジャンヌのお父さんは困った人である。
本人は善意の塊であっても、行動力が伴わないと役に立たない、
というのも随分残酷な話である。
しかし逆に言えば、善意だけでは人は幸福になれない、
それが今のブルジョアが支配する社会の実態ではないのか。
そういう暗黙の批判を、我々は彼の姿の内に見てとることもできるだろう。