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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

レアリスムじゃないかも

日記を書く余力のないまま日がどんどん過ぎる。
6日慶事で関東遠征。
この一月ばかりの間に二度風邪を引いたので、
一度目で『Xの悲劇』、二度目で『Yの悲劇』を読み、
遠征の行き帰りに『Zの悲劇』(いずれも越前敏弥訳、角川文庫)を読み、
勢いで『レーン最後の事件』、鮎川信夫訳、創元推理文庫、1959年(2010年79版)を読んだ。
最後まで来てなるほどこれが傑作と納得する。見事だ。


石井洋二郎、『フランス的思考 野性の思考者たちの系譜』、中公新書、2010年
を読んだのはもうだいぶ前なのだけど、今手元に本が転がってきたので記す。
石井洋二郎がこのタイトルは何事か、と驚いたが、中身は
サド、フーリエランボーブルトンバタイユ、バルトの美味しいところを選りすぐりで、
これは抜群に面白い。


お盆は金沢経由新潟行き。金沢駅古書店で見つけた一冊、
小柳公代、『パスカルの騙し絵 実験記述にひそむ謎』、中公新書、1999年
物理実験の記述は半分も理解できていないのにもかかわらず、
結末の推理は実に説得力があって、すこぶる面白い。
『真空に関する新実験』8つを、パスカルは本当に実際にやったのか。
この実験が何を証明するものなのか曖昧不明瞭なのは何故なのか。
うむ、こんな綺麗な問いが見つけられたら研究者冥利に尽きるというものだ。


帰って来てから久しぶりの単発論文に取りかかる。8頁を(またしても)3日で。
もっとも今回は事前に(2週間かけて)準備をしたのです、と誰にともなく弁解をしても
よけいに恥ずかしいですね。
お題は「モーパッサン『昼夜物語』における生と死」


モーパッサンが生前に編んだ短編集は15冊。そのうち12冊は巻頭の作品をタイトルにしていて、
例外が3冊だけあり、『山鴫物語』『昼夜物語』『左手』だ。
『山鴫』は猟の後で男達がお話を交わす、というデカメロン式枠組みが最初に(一応)あり、
フランス語でmariage de la main gauche「左手の結婚」は正規の手続きを踏んでいない内縁関係を表わし、
そういう話だけを集めたもので、こちらはテーマ的統一がある。
ではContes du jour et de la nuitの「昼と夜」とは何を意味するのだろうか。これが問いの1。
ところでモーパッサンは短編集編む時になんぼほど構成に配慮したのか、
という問いに対しては従来否定的見解が根強く(だって要するに意図があるように見えないから)、
これについての論考は、管見の及ぶ範囲では次の二つのみ。
Mariane Bury, « Comment peut-on lire “Le Horla” ? Pour une poétique du recueil », Op. cit., revue de littératures française et comparée, no 5, 1995, p. 253-258.
Emmanuèle Grandadam, Contes et nouvelles de Maupassant : pour une poétique du recueil, Publications des Universités de Rouen et du Havre, 2007.
グランダーダムの浩瀚なテーズで全部言われているようなものではあるけれども、
それを踏まえつつ、この『昼夜物語』を一個の作品と捉え、短編間の相互作用を考慮することで、
さあ何が見えてくるでしょうか、というのが問いの2。
ふむ、いかがなものか。


なんにせよ、新しいことを考えるのは楽しいけれども、
ここのところ自分の思考の枠が固定化しつつあるのが否みがたく、
どうしたものだろうかと思う。
むかしむかし、最初の頃は、モーパッサン幻想小説が面白いでしょ。
と思ってあれこれ考え、3年後に至った結論は、
やっぱ幻想とか縛ってもしょうがないし、モーパッサンの肝はなんといってもレアリスムでしょ。
と思ったのであったが、爾来6年、私はどこに辿りついたというのか。
これがびっくり。
やっぱレアリスムじゃないんじゃないの。
と、やればやるほどしみじみ思うに至る。
現実世界との照応関係に忠実さと正確さを求める、という要請は
(それだけがレアリスムというものでは勿論ないのだけれども)
モーパッサンにあっては、ある種の美学的前提条件というものであって、
それはつまり「うーむ、いかにも本当らしいよね」と読者に思わせればとりあえず作者に一本であるが、
本当の勝負はたぶんその先にこそある。
当たり前と言われるとあまりに当たり前なので返す言葉もない。
ではしかしその先とは一体どこであろうか。
モーパッサンの作品の本当に凄いところは一体どこにあるのか。
私が知りたいのはたぶんそういうすごく簡単な問いの答えなのであるけれども、
まだぴったりすっきり、腹から納得できる言葉に辿りつけない。
いやはや非力だなあ。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
田村隆一、「帰途」、『田村隆一詩集』、思潮社、現代詩文庫、1968年、32頁)