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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

モーパッサンと渡辺一夫

渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』、大江健三郎清水徹編、岩波文庫、1993年(2010年8刷)
を読むと、戦後すぐ、冷戦の始まった頃に渡辺一夫がすごく怒っていることが分かる。
終わったと思えば、またぞろ戦争をする気なのか、と。
16世紀フランスのユマニスムの精神を受け継ぎ、
たとえその声は小さくとも、一人でも賛同者を見つけるために語り続けよう、という
渡辺一夫のユマニストとしての責任感には頭が下がる。
ところでここに
「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」という1948年に書かれた一文が収録されていて、
そこにモーパッサンが出てくる。
『フランス語文典』Grammaire historique de la langue française を著した
クリストフ・ニーロップChristophe Nyropの『戦争と文明』Guerre et civilisation, 1917
を紹介する文章なのであるが、その中の一節。

 その上、もう一つ注意すべきは、ニーロップがモルトケ将軍の言葉に対立的に引用しているのは、日本では昔からエロ作家にされて売行甚大なモーパッサンの言葉であります。ニーロップは、出典を明示していませんが、モーパッサンの名紀行文『水の上』からの引用であります。日本訳の『水の上』では、恐らく、官憲の手によって、エロ作家の暴言として削除されている部分であろうと信じますから、以下に、その拙訳を揚げてみます。ニーロップは、特に説明していませんが、戦争賛美者が、平和は人間を卑しいマテリヤリスムに陥れるが、戦争は、それから解脱せしめるというような論を樹てているのに対して、モーパッサンが抗議している文章であります。
(141-142頁)

うーむ、やっぱりそうだったのか、と思うのは、もちろん、
「エロ作家にされて売行甚大なモーパッサン」という箇所であるが、
『水の上』に関する指摘にはなるほどと気付かされるものがある。
はて、本当のところはどうだったのだろうか。
それはそうと、ここでは「エロ作家にされて」となっているが、後の方では、

この十九世紀のエロ作家は、二十世紀の日本の政治家や社長族や知識階級の人々よりも、戦争ぎらいのようです。(145頁)

とあって、これでは渡辺一夫自身も「エロ作家」呼ばわりしているみたいではないか。
うーむ。
しかしまあ話は最後まで聞くべきである。

 モーパッサンの最後の叫び声は、実に暗澹としていますし、人間即野獣説やら、戦争不可避説やらの根底に濫用される危険があるほどの絶望を持っていますが、この絶望の真意は、十九世紀から我々にさしのべられたバトンの一つであろうと思います。我々は、このバトンを戦争回避のためにのみしか用いられないはずです。モーパッサンのペシミスムも狂気も、そしてあのエロチスムも、深刻に懊悩した一個人の人間の記録でしょう。(146頁)

我々は、ニーロップとモーパッサンとの握手に更に手を重ねねばなりますまい。それ以外に、学芸に携わる者の倫理はないのであります。(147頁)

この『水の上』の元になった文章「戦争」の拙訳をHPに掲載したのは、
ささやかながら私も手を重ねたいものだと願うからなのでありました。
いや本当に。