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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

妹はジョルジェット

K-Aさま、コメントをどうもありがとうございました。
こちらこそ今年もよろしくお願いもうしあげます。
試しにツイートしてみたのですが、埋もれてしまったかもしれません。
ルブランの出生証明書、原文トランスクリプトしてみましたので、
よろしければメールいただけましたら、お送りいたします。
お手数おかけしますけども。
なんにしろ、ルブランの誕生日は12月11日で間違いありません。


モーリス・ルブランの妹ジョルジェットは女優で、長いことメーテルリンクの愛人だったんですね。
別れた途端に暴露本?『回想録』を出版。父親の出自はヴェネチアだった、
とかロマンチックな美化散見の曰くつきのもののようですが、
翻訳が出たらすごいなあ。再販ぐらいはあってもいいかもしれないと思います。
ルブラン、モーパッサン私淑説の出所のようでもあるので、
せっかくなのでこれを機会に、該当箇所を確認してみます。

 Il écrivait. On publiait ses premiers romans avec succès. Il côtoyait les grands hommes là-bas dans la capitale. Maupassant le protégeait. Mon admiration pour lui avait grandit.
(Georgette Leblanc, Souvenirs (1895-1918), Grasset, 1931, p. 83.)
 彼は執筆した。最初の何冊かの小説が出版され成功を収めた。彼方の首都で、彼は偉人達と接しているのだった。モーパッサンが彼を庇護した。私の兄に対する賞讃の思いは大きくなっていた。
(ジョルジェット・ルブラン、『回想録』)

ルブランがパリに出たのが1888年末。
ジャーナリスムへのデビューは1890年3月。
同年秋に最初の短編集Des couples自費出版
冒頭に "Au maître Guy de Maupassant"「師モーパッサンへ」と献辞が添えられている。
という事実からすれば、「モーパッサンに可愛がられている」というのは
案外モーリス自身が妹に自慢していたのかもしれない。
しかしまあ、1890年の時点でモーパッサンが若い文学青年と一緒に文学談義をした、
というのは、これはありえそうな話ではない、という気もする。
モーパッサンへの献辞は端的に「箔付け」の意味を担うものだったに違いないが、
しかし見ず知らずの作家に献辞をする、というのはあんまり常識的ではない。
とすると、少なくとも会ったことぐらいはあったのか?
ルブランはモーパッサンに処女作を送ったのか?
モーパッサンはそれを読んだのか?
読んでたら恐らく返事ぐらいは送っていそうなものだが、今のとこそれは知られていない。
ところで1890年11月23日、ルーアンにおいてフロベールの像の除幕式が行われ、
そこでルブランはゴンクール、ゾラ、ミルボー、モーパッサンに会った、
というか彼らがパリへ帰る列車に乗り込んだ、ということをルブランは後に回想しており、
それが事実だとすると、この時点でまだ彼はモーパッサンを見知ってはいない、
ということになる。
はてさて。何が何やらよく分からん。
確かなことは、モーリス青年にとってモーパッサンは憧れの作家の一人だった、
ということである。
ルブランがあと5年早く生まれていたら、モーパッサンに私淑するということも
あるいはあったかもしれない。
そうしたらモーパッサンは何よりもまず事物を観察したまえ、と
お決まりの助言をしたことであったろう。
そうしたら何がどうなっていたかは想像の範囲を超えるのだけども、
つらつら考えているのはなんとなく楽しい。
というだけのお話でした。
ではでは、今後ともよろしくお願いもうしあげます。