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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

まんがで読破すること

いかん、もう四月だ。どうしよう。


今更な話ではあるが、
バラエティ・アートワークス、『まんがで読破 女の一生』、イースト・プレス、2012年
を本屋で見かけた時はおどろいた。
190頁で主要なところはきっちり描いて、その職人芸は見事なものです。
なかなかどうして大変よく出来ているのでありますが、
凝縮度が凄いので、ジャンヌの身にはまさしく次から次にと不幸が襲いかかってきて
なんとも大変な人生よのう、と改めてしみじみ思う。
まあ、確かに、元から「そういう話」に違いないのではあるが、
これを読んで、よーし原作を読んでみよう、と思う人の割合は
はたしてどれほどのものであろうか。とか考えたりもする。
「まんがで読破」するということも、考えてみるとなんだかよく分からなくなってくる。
これを読むと『女の一生』がどういう話であるか、ということは
実にこれよく分かるのであるが、じゃあそれでもうOKということになるとは
私としては、やはりまあ、何と言うか、信じたくはないところである。
では、漫画化によって一体何が付け加わり、何が抜け落ちたことになるのだろう。
って、そりゃまあ色々あるには違いないんだけども、
言葉で伝達する、という面倒かつ手間のかかる作業でのみに
真に伝達されうるものをしっかりと掴み取ることは、
視覚メディア全盛の時代に「文学」にしがみつこうとする者の
責務ともいうべきものではなかろうか、てな堅苦しいことを、
この漫画を読みながら考えてもみたのでした。
実はこれより『失われた時を求めて』のほうが驚くが、
方法序説』と『社会契約論』も漫画になってるのにはのけぞった。
すごいの一言です。


寝る前読書の『風車小屋だより』をついに読了。
これは本当にしみじみと、古めかしい言葉でいうところの「珠玉」の短編集だ。
色々あれこれ考えてみたいような、そうでもないようなところであるが、
ふと気になって、先日の「法王のラバ」の「七年間のおあずかり」を
別の翻訳で確かめる。

――それッ! 悪党め、ざまァ見ろ! 七年間お前のために取っておきのものだぞ!」
(ドーデ、「法王の騾馬」、『風車小屋便り』所収、村上菊一郎訳、新潮文庫、1951年(1975年33刷)、69頁)

ふーむ、ふむふむ。
ここはやっぱり、「おあずかり」に一票ではあるまいか。