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えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

改めて、簡単なのか

モーパッサンのフランス語は(少なくとも相対的に)簡単だ。
と断言すると、しかしなんとはなしに疾しい気分がしないでもない。
モーパッサン先生」に怒られそうな気もするし。ははは。


Maupassant par les textes
にThierry Selva 氏による、
Une étude quantitative du vocabulaire de Maupassant
モーパッサンの語彙数に関する研究」
というのがある。詳細は省略すると、つまるところ、
フロベール、ゾラ、プルーストと比較しても
モーパッサンの使う語彙数が明らかに少ない、ということはない、
ということが統計学的に論証されているのである。
もしモーパッサンの使う単語に特徴があるとすれば、
一般に使用頻度の少ない単語の使用が控えられているということにあり、
逆に言うと一般的な語(語義が多義的なもの)の使用が多い、ということは言える。
「小説論」で作家自身が言うように、ゴンクール流の「芸術的文体」よりも、
簡明さ、明晰さを重視する文体の実践がなされているのである、云々。


モーパッサンが「簡単」な印象を与えるのは、つまるところは要するに
短編である、ということにその最大の理由があると言っていいだろう。
なにしろ新聞1回読み切りの分量、というのが大原則である。
バルザックフロベールの「短編小説」と比べても、その長さははるかに短いのである。
このことは、単に読み終えるまでの労力の大小を意味するのではない。
そこでは、速く進むこと、早く語り終えることが重要な課題として存在している。
回り道をしている余裕はなく、余計なことを語っている暇はない。
筋は単線一直線であり、始まりと終わりが明確に存在する。
構造的に、読者が意味を推測して読むことが容易なようにできているのである。
さらに描写の問題も大きい。
風景描写、人物の外面描写、そしてその内面の心理の叙述。
これらがモーパッサンの短編に「無い」わけでは決してないが、
それらは要点を簡潔に明瞭に喚起することに主眼が置かれているのであり、
余すとこなく述べ挙げなければ済まないが如きの重厚な描写とは
明らかに性質の異なるものである。


単語数が限られているからこそ、何を語るか、そしてどのように語るかが重要となる。
新聞紙上に作品を発表し続ける中で、作者に明確に意識化されるに至ったのは、そのことだ。
物理的制約を美学に転換すること。
限られた言葉で、読者に効率的に積極的に働きかけること。
語られた言葉に、言葉が語る以上のことを語らせること。
モーパッサンのフランス語を「読む」ことの、本当の目標は、
そうしたことを実感として掴みとることに他なるまい。
なので、本当は、そう軽々しく「簡単」とか言うてはいけないのであることは、
そりゃもう分かってるんですよ、ギイさん、あははは。
というのが、まあなんだかよく分かりませんが「弁解」の辞でありましたとさ。