えとるた日記

フランスの文学、音楽、映画、BD

かつて仏文研究室で

採点と準備と書類書きに追われる日々。


加藤周一の『羊の歌』を読むと、戦時中に東大の仏文研究室が一種のアジールとしてあったことが窺えて感慨深い。
無力ではあったに違いないが、そこに良識が息づいていたということを、記憶に留めておいてもよいだろう。
それはそうと、その筋には有名な鈴木信太郎の逸話をここに引いておく。

マラルメ研究」は、途方もなく詳細であり、私の出席したときには、詩人の生涯という話の一部分で、ある年にはマラルメの借りた家の家賃がいくらであったか、ということが話題であった。「いや、おどろいたね」と私はその頃仏文科の学生であった中村真一郎にいった。「文句をいうなよ、君などは運がいい方だ」と中村は答えた、「今年はとにかくマラルメの話じゃないか。考えてもみたまえ、マラルメが生れるまでに、一年もかかったのだぜ、一年も!」
加藤周一、『羊の歌―わが回想―』、岩波新書、1968年、179頁)

仏文学界でこの逸話が語られる時の口調は、いささかからかいの調子を含みつつ、しかし実証の権化のような研究者の姿勢に対する敬意の念が多少なりとこめられている、というものであるような気がする。
なるほど家賃がなんぼであったかと、マラルメの詩との距離は随分と遠い。しかし貧乏教師が生活苦とあいまみれながら詩を書き続けたという事実は、マラルメの詩を考える時に、考慮されてもよい事柄であるだろう。おそらくは。
だがそれにしても、一年分の講義が詩人の家系について尽くされたのでは、血気盛んな若者の忍耐の許容量を超えていよう。要するには学生へのサービス精神など存在すべくもなかったのである。
よきにつけ、あしきにつけ、この半ば神話的逸話が、大学の授業なるものが何であるのかについて、(あるいはそもそも学問というものが何であるかについて)非常に示唆に富んでいる、ということだけは疑いないだろう。
合掌。